国鉄時代の「新幹線運転士」今だから明かす苦労話 雪や台風の走行、0系の「団子鼻の中」に入って便乗
2025年9月、JR東海は「東海道新幹線における自動運転システム導入に先行したTASCの運用開始について」というリリースを出した。TASCとは定位置停止制御(Train Automatic Stop-position Control)のことで、2026年秋に東海道新幹線の全駅に導入し、全営業列車で運用を開始する計画だ。
このシステムの導入により、列車を「より精度高く停止させることが可能」となり、「手動での停車ブレーキと比較して、停止にかかる平均的な時間を短縮できる」という。ダイヤの安定性向上につながることから、利用者にとってのメリットは大きいと思われるが、「電車の運転」という意味では味気なさを感じなくもない。
「新幹線運転士」への遠い道のり
「ホームの所定の位置に、ショックを与えずに停車させるのが運転士の一番の腕の見せどころだった」と話すのは、ちょうど50年前の1975年に東海道新幹線の運転士になり、国鉄民営化の直前まで運転士を務めた、にわあつしさん(74)だ。国鉄を退職後は鉄道ライター・写真家などとして活動し、新幹線に関する著作もある。
「運転士時代の話を語り継いでいきたい」と話すにわさんに、当時の運転士の業務とはどのようなものだったのか、話を聞いた。
――国鉄時代、新幹線運転士になるには、どのような経験・資格が必要でしたか。
当時、国鉄は運転、車掌、保線、電気など部門別の採用を行っていました。僕が国鉄の運転部門に入ったのは18歳のとき。入社後、まずは関西鉄道学園に行かされ、1カ月間みっちり基礎教育を受けました。国鉄の組織のことなどを覚えるのです。


















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