国鉄時代の「新幹線運転士」今だから明かす苦労話 雪や台風の走行、0系の「団子鼻の中」に入って便乗

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あと、僕は一人前の運転士として乗務するようになると、単身で住んでいた横浜の新幹線寮を引き払って、両親のいる静岡の我が家に転居して東京まで通勤するようになりました。静岡から東京だと距離があるから、新幹線の乗務員室に便乗させてもらうわけです。しかし、乗務員室は狭いので満室のときは、運転室の前のボンネット室に入れてもらいました。

――先頭のドームの中ということですか?

そうです。正式には運転機器室というのですが、運転席と助手席の間の低いところに扉があって、そこから入れるのです。中にはATCの機器などが収められているのですが、本来は保線関係の人などが移動時に乗る場所なので、一応、折りたたみ椅子なんかは置いてある。3畳くらいの部屋で蛍光灯1本だから薄暗く、外はほとんど見えないから寂しいですけどね。

ちなみに、当時は国鉄内に国労(国鉄労働組合)と動労(国鉄動力車労働組合)という2つの組合があって、同じ国鉄の組合なのに極端に壁があった。僕は国労だったので、運転士が動労の人だと便乗を拒否されることもありました。運転のときもそう。仲がいい運転士同士ならば会話も弾みますが、仲の悪い動労の運転士と組んだりすると、業務で最低限必要な掛け声しか発しなかったりとか。同じ国鉄なのに、今考えればおかしなものです。

東海道新幹線 品川車両基地
東海道新幹線の品川車両基地。現在は再開発により品川グランドコモンズなどになっている(写真提供:にわあつし)
【写真をもっと見る】国鉄時代の東海道新幹線の姿。走行中の運転台の様子や車両基地の内部、昭和40年代の有楽町付近を走る0系など

鉄道は何より安全が大事

――最後に、今の鉄道マンたちへのメッセージがあればお願いします。

僕がまだ運転士になる前の話ですが、67年7月豪雨の際、大阪の鳥飼車両基地(大阪運転所)の構内が浸水したとき、皆で力を合わせて車両を本線上に上げ、全車両が水没を逃れたということがありました。近年は異常気象が頻発していますが、こうした過去の教訓をきちんと生かすことで、免れることができる事故・被害は、たくさんあるはずです。

そして鉄道は何よりも安全が大事。現役の皆さんには安全第一でがんばっていただきたいです。

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森川 天喜 旅行・鉄道作家、ジャーナリスト

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もりかわ あき / Aki Morikawa

日本ペンクラブ会員。旅行、鉄道、ホテル、都市開発など幅広いジャンルの取材記事を雑誌、オンライン問わず寄稿。メディア出演、連載多数。近著に『かながわ鉄道廃線紀行』(2024年10月 神奈川新聞社刊)などがある。同書は日本旅行作家協会より第7回「旅の良書」に選出。2025年6月より神奈川新聞日曜版にて「かながわ鉄道英雄伝」連載開始。

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