京急の「赤い電車」、豪快に駆け抜けた名車の記憶 旧600形や2000形など昭和・平成の看板車両たち

赤い電車で知られる京浜急行電鉄、通称京急は鉄道ファンに人気の高い私鉄だ。
京急はステンレス車両になっても赤い車体を守り続けるこだわりや、カーブの多い線路をすいすい走る姿、そして最高時速120kmで駆け抜けるスピード感など、マニアの心をくすぐる要素が多い。相互乗り入れする鉄道会社が多く、走る車両のバラエティが豊富なのも楽しみの1つだ。そんなところがファン受けするとともに、一般の沿線利用者にも愛着の強い人が多い鉄道でもある。
今回は、昭和・平成の「赤い電車」の名車たちを中心に、京急の懐かしの姿を振り返ってみたい。
「標準軌」のスピード感
京急の特徴の1つは、線路幅が関東地方では珍しい1435mmの標準軌である点だろう。これが高速運転やカーブ通過の安定感をもたらしているといえ、筆者はそのスムーズな走りに魅せられてきた。この線路幅は創業時と同じだが、現在に至るまでには紆余曲折を経ている。
京急の歴史は古く、その始まりは明治中期の1899年1月21日、関東地方では初、日本でも3番目の電車として現在の大師線の一部にあたる区間が「大師電気軌道」として開業したのにさかのぼる。開業直後に社名を「京浜電気鉄道」に改め、1904年に品川まで路線を延伸した。この際に東京都心乗り入れを考慮し、軌間を当時の市電(のちの都電)と同じ1372mmに変更した。
一方、横浜より南の逗子・浦賀方面の路線は1930年、標準軌の湘南電気鉄道によって開業した。京浜電鉄は現在の品川駅に乗り入れた1933年に再度標準軌に改軌し、品川から浦賀までの直通が可能になった。
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