京急の「赤い電車」、豪快に駆け抜けた名車の記憶 旧600形や2000形など昭和・平成の看板車両たち
筆者は昭和40年代から東京在住だが、渋谷が拠点だったこともあり関東の私鉄の中でも京急には当初、あまり縁がなかった。記憶している中で初めて乗ったのは昭和40年代半ば、当時写真を連載していた漫画雑誌の取材で、城ヶ島で行われた映画のロケの密着取材に行ったときだった。この時はあくまでグラビアページの撮影のためだったので、細かく記憶に残っているわけではないが、その次に日中に乗った際の印象は鮮烈だ。
乗ったのは当時の看板列車、旧600形の快速特急だったと記憶している。現在は品川―横浜間は高架になった区間も多いが、当時は線路際まで家々が立ち並ぶ中をかなりの高速で飛ばしていた。日ごろ乗っていた東急東横線や小田急線、西武線など狭軌の各線と比べて明らかにスピード感が違い、標準軌ならではであろうスカっとした走りに驚くとともにすっかり魅了された。

「2ドア」の名車たち
1970年代、京急のスター車両はなんといっても旧600形だった。快特用の車両としては現在の2100形の2世代前となる車両である。正面は2枚窓のいわゆる「湘南顔」だが、側面やドアも含めて全体に窓が大きく軽快なデザインのクロスシート車で、当時すでに3ドアや4ドアの通勤車両が主力となっていた関東私鉄には珍しいタイプの車両だった。
その後継車として1982年に登場したのが2000形だ。大きな前面窓と均整の取れた側面デザインが美しく、2ドアの電車が好きな筆者にとっては嬉しい新車の登場だった。車内は「集団見合い型」の固定クロスシートで座り心地もよく、特別料金不要の車両としてはかなりのハイグレードさを誇った。


この車両には個人的な思い出がある。筆者が監修した映画『ヨーロッパ特急』(1984年東宝・武田鉄矢主演・大原豊監督)のキャンペーンで、この映画のヒロイン役を務めた女性俳優が来日した際、当時最新の特急用車両だったという理由で、2000形を借り切ってイベントを行った。当然ながら筆者も同乗取材したのはいい思い出だ。
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