「二度も幻と化した」広島と島根を結ぶ鉄道の謎 山あいに並ぶ2つの橋、どちらにも列車は走らず
このため1964年、日本鉄道建設公団(鉄道公団、現在の鉄道・運輸機構)が発足。鉄道公団が国鉄ローカル線を建設し、完成後は国鉄に無償で貸し付ける体制に変わった。本郷線の工事は鉄道公団が引き継ぎ、今福線は広島・島根県境部の未着工区間も含めて鉄道公団の基本計画に盛り込まれた。1969年には本郷線の加計―三段峡間が可部線の延伸部として開業している。
こうして今福線も工事再開の機運が高まった。鉄道公団は1968年5月13日、下府―石見今福間の15.8kmで工事実施計画の認可を受けている。この区間は戦前に完成した路盤やトンネル、橋梁がある。わずかに残る未完成部分を整備すれば、すぐにでも開業できたに違いない。
高速化のためルート変更
ところが1年半後の1969年12月5日、鉄道公団はルート変更の認可を受け、そのうえで工事に着手した。新ルートは山陰本線からの分岐地点を下府駅から浜田駅に変え、浜田駅から石見今福駅に直接向かう。この結果、下府―石見今福間に整備された施設は鉄道としては使われないままうち捨てられることになってしまった。

完成した施設を放棄してまで、なぜルートを変更したのか。その最大の理由として挙げられるのが、都市間鉄道として高速化を図る必要があったためといえる。
広島―浜田間の直線距離は65kmだが、1969年までに開業した広島県内の可部線・横川―三段峡間は60.2kmで、これに未開業の三段峡―下府間を加えると確実に110kmを超える。とくに可部線の可部―三段峡間や今福線の下府―石見今福間は、カーブが多い渓谷沿いのルートで、速度を出しにくい。仮に広島―浜田間で特急列車を走らせたとしても、当時の車両の性能などから考えて3時間半~4時間程度はかかったのではないか。直線65km圏内で4時間は長すぎる。
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