「数学嫌い」の人は暗記教育の犠牲者といえる理由 公式ばかりを覚えて本当の楽しさを知らない
かけ算の筆算に関して、「10の位の数をかけるから1つずらして書いて、100の位の数をかけるから、さらに1つずらして書く。本当は10の位の数をかけるときは最後の0を省略しないほうがよいかもしれない。同様に、100の位の数をかけるときは最後の00を省略しないほうがよいかもしれない。なぜ3桁同士のかけ算の学習が必要かと言えば、ドミノ倒しやボックスティシュのように、帰納的に次々と続く性質の理解には『3』が大切なんです」と繰り上がりの仕組みを図に描いて説明すると、「よくわかりましたけど、こんな説明を聞いたのは人生で初めてです」と答える。
中学数学でコンパスと定規で図を描くときの作図文を学んだ経験がなかった多数の学生に、「この作図文をしっかり学んでおけば、地図の説明のように、一歩ずつ論述する文を書くときにプラスになる。あまり学んでないからこそ、何年か前に千葉県の県立高校入試の国語で、おじいちゃんに道案内する文を書かせる問題が出題されたとき、なんと半数が0点でした」と作図文の意義を説明すると、「えーっ、みんな言われた通りにコンパスと定規で図を描く方法を暗記したことはありますが、そのような文章を書いた経験はほとんどないと思います。作図文を書く意義がわかりました」と答える。
凶悪事件のアリバイで理解する「背理法」
結論を否定して矛盾を導くことによって結論の成立をいう「背理法」を復習するとき、次のように学生に語りかける。
いま、運悪く凶悪事件の容疑者として私は警察に逮捕されてしまった。刑事さんに、「その事件があったとされる時刻に、私は他の場所にいました」と訴えたところ、刑事さんは私に「そのアリバイはありますか」と質問した。
これは次のように考えることができる。「私は犯人でない」を結論とする。そしてこれを否定すると、「私は犯人である」になる。すると犯行時刻には、私は犯行現場にいたことになる。もし、その時刻に居酒屋などの他の場所に私がいたことが実証されたならばアリバイが成立し、「私は犯人である」は矛盾となる。このような論法も「背理法」です。
このように説明すると、一部の学生からは「えーっ、それも背理法ですか? 確か同じ数字を2度かけて2になる数の√2が(分数として表わせない)無理数になることの証明が背理法ではなかったですか」という質問を受ける。
筆者の就職委員長時代のボランティア授業は、このような形で脈々と進化しながら続けてきたこともあって、学生からの感想文も以下のように興味深いものが多く寄せられる(今年度前期分から)。
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