いい人すぎる「岸田"絹ごし豆腐"総理」に待つ苦難 「発信力」「コミュ力」は菅前総理より上なのか?
3つめの「いい人ゆえのカルマ」は、「『アンチ』もいないが『岩盤支持者』もいない」ということです。
「毒にも薬にもならない退屈さ」を生む可能性も
「中庸」の姿勢を貫くことで、最重要課題として掲げる「分断の解消」を進めようとしているわけですが、こうした穏健派には、「強烈なアンチ」もいない一方で、「熱心な支持者」もつきにくい。
安倍元首相や高市氏のように、保守派層を徹底的に喜ばせる言説をとるわけでもなく、強い改革志向を掲げるわけでもない、その「バランス重視」の姿勢が、「毒にも薬にもならない退屈さ」を生んでしまう側面があるのです。
政治家にとって、いい人である以上に、重要なのは「人をいい気分にする人」かどうかということです。
「この人は私の考えを認め、同じ考え方をしている」「私の声を代弁してくれている」「私のことをわかってくれている」「勇気づけてくれる」「話を聞くとワクワクする」。そんな感情を刺激し、「心ときめかせる力」が求められるわけですが、そうした「大衆におもねる狡猾さ」はあまり感じられません。
そして、何より「いい人」だからこそ、「言葉」をためらいます。
悪人や人をだまそうとする人、あまり賢くない人ほど、ためらいなく、断定的にモノを言う傾向があります。
しかし、思慮深く、真実を話そうとする人ほど、「断定的な言い方」を避けてしまいがちです。世の中、簡単に白黒つけられないことのほうが、圧倒的に多いからです。
「多少あやふやなことでも、確信を持って言い切る人に人は惹かれてしまう」。医者より占い師のほうが信頼されてしまうことがあるのは、こういうことです。
岸田氏は、昨年の総裁選での失敗から、なるべく言い切るようにするなど、話し方を工夫してきましたが、まだまだ「いい人」ゆえの「ためらいや逡巡」があるように感じます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら