しかし中高年になると、そういう一面的な見方に対して納得できないと感じている社員は少なくない。私が話を聞いた「働かないオジサン」の中にも、「目の前にニンジンさえぶら下げれば、人が働くと思っているなんて甘い」と発言していた人もいる。そのうえ、意に反してリストラが行われるということになれば、「役職を降りたくなる」というT氏の気持ちはわからないでもない。
しかし、私は、「嫁さんのほうが正しい。自ら降りることは得策ではないと思う」とT氏に言った。
まず、役職を降りたからといって、会社とのつながりがいきなり切れるわけではない。多少煩わしさが減るくらいで、戦略的に動かなければ大して自分の時間は増えないだろう。
役職を降りればすべて割り切れるような人だったら、二十数年も会社員を続けられているとは思えない。勤めながら隠遁生活を送ることは、簡単ではないのだ。だから会社に対しても、自分に対しても、やる気のある姿勢を見せておいたほうがいい。
ただし、一般的には、社内で中核的な役割を担っている部署ほど、時間を作るのが難しくなる。組織の隅っこや、対外的な営業の部署にいるほうが、動きやすいことも多い。Tさんの会社で経理がどれほど中核的な部署なのかわからないが、より時間を作りやすい職場への異動を願い出るという手は考えられる。
そもそも、会社生活と個人生活を分離することは難しい。私の例で言えば、会社の仕事の質が落ちれば、執筆の質も間違いなく落ちる。だから、退職するのでなければ、会社生活も個人生活も大事にすべきだと思うのである。
「何をしたいか」を見つけることは難しい
T氏の最大の問題は、「役職を降りる」ということに目がいき、降りた結果できた時間で「何をしたいか」が定まっていないことにある。
私も役職を降りて、ヒラ社員になった経験がある。そしてそのことが、新たな立場を得るきっかけになった。でもそれは、「降りた」という事実から生じたのではなく、むしろ、ヒラ社員になって生まれた時間を、やりたいことに投入できたことが大きかった。大切なのは、「降りる」よりも「何をしたいか」ということなのである。
そういう意味では、T氏が求めている「ヒラを生きる極意」とは、「生まれた時間を、何かをすることで充実させること」だと言えそうだ。
T氏に、「この名刺にあるたくさんの役割の中で、何がメインになるのですか?」と聞くと、「それなりにすべて楽しいのですが、『これだ!』というものがないのです」と答えてくれた。
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