松下幸之助の側で、仕事をするようになって、2年ほどの冬。京都の松下の別邸、真々庵でのこと。この庭は、京都府指定庭園となっているほどの名庭。明治時代に有名な作庭家、小川治兵衛の手によるもの。そこには二つの茶室があった。一つは真々茶室。一つは、青松茶室。その青松茶室で、二人だけ。釜から、ゆるやかに湯気が立っていた。まだ、2年ほどだから、私は緊張に緊張。ただ、坐しているだけであった。
一言、そして静寂
その時は、吉井さんという、その真々庵の管理も兼ねた老婦人がいたが、彼女が、お茶を立ててくれた。外は木枯らし。庭の杉木立が木枯らしでヒューヒューと鳴っていた。松下が飲んで、次に私が飲んで、それでも二人の間で会話はなかった。静寂の、わずかな一瞬が流れていると思ったその次の一瞬、松下が一言、話しかけてきた。「きみなあ、風の音を聞いても悟る人がおるわなあ」。「はあ・・・」それ以上の言葉はなかった。そしてまたお互いしばらく沈黙がつづいた。
私は、そのとき、この人が何を言っているのか、理解することが出来なかった。しかし、その言葉は、それから私の頭を離れることはなかった。わからないことを言う人だなあ、なにを言っているんだろうか。なぜ、私に言ったのだろうか。頭のなかを2~3日、松下の言葉が駆け巡っていた。と、3日経ったとき、ふと、この言葉が私を叱責、あるいは注意をしている言葉だと気が付いた。
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