考えてみると、それまでの2年間、緊張ということもあろうが、私は、松下の話に相槌を打つだけが精いっぱい。「はい」「なるほど」「へ~」「そうですか」というぐらいの言葉しか、使っていなかった。なにせ相手は大横綱。こちらは序の口だから、鼻から相撲にならない。そう考えていたから、自分の相撲など取ろうとは思っていなかった。だから、松下幸之助の話を拝聴するだけ。終われば、それでホッとしていたというのが実際であった。
そういう私に、松下は不足を感じていたのだろう。その思いとは、おそらく次のようなことだろう。
松下幸之助の思いとは?
もう少し、わしの話を、意識をもって聞きなさい。意識をもって聞けば、なにかきみの考えが出てくる、そういうことにもなるだろう。そういう、いわば問題意識をもって聞くという心掛けが大事だ。
きみを見ていると、ただわしの話を聞いて、適当に返事をしているだけで、それでは、きみの身につかんし、ためにもならない。問題意識をもっていれば、たとえ、なんでもない杉木立を鳴らす風の音を聞くだけでも、あっ、そうか、そういうことか、と悟ることもできる。
そうして悟ったり、新しいことを発見したり、気が付いたりした人たちは、過去にもいっぱいいるだろう。まして、それなりにわしが話しているのだから、その話のなかから、そうか、そういうことか、なるほど、こうも考えられる、というふうでなければならん。
松下は、そういうことを「風の音を聞いても悟る人がいる」と、私に言ったのではないか、いや、そうだ、あれは単なる松下さんの呟きではなく、私への叱責であり、教えであると気が付いたとき、その一瞬、若い私は、体が凍る思いがしたことを覚えている。
それからは、不十分ながら、常に、これはなにを意味しているのか、どういうことにつながるのか、どうなるのか、どのような対応を考えなければならないか、などと考えるようになった。
いま、私の事務所には、若い書道家に「風の音を聞いて悟る」という言葉を色紙に書いてもらい、額に入れて壁に架け、折々に見ては、そうした問題意識、意識をもって見る、聞くことを心掛けるようにしている。
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