「お坊さんって、すごく『ちゃんとした人』というイメージがあるけれど、父は真逆なんですよね。そんな人が住職をやっているようなお寺だってわかったら、檀家さんに見放されて、私たち生活できなくなるのでは、という恐怖がありました。そもそも住職かどうか以前に、人として尊敬できないですし。それが、私にとってはすごくしんどくて。
もし『あのときはごめん』とか、子どもの前で母に謝って仲直りするような家だったら、また感じ方が違ったかもしれないんですけれど、嵐が過ぎ去ったらそれで終わりなんですよね。なんのけじめもなく、なんとなくまた会話が始まって、もとに戻る。子どもには『悪いことをしたら謝りなさい』と言っておいて、それはどうなの?というのはすごく思っていました」
「当たり前」のこととして求められる前提
いつか瑞樹さんが「お寺を継ぐこと」は、家族のなかで、言わずもがなの前提でした。
「檀家さんや祖父母からは『継ぐんだよね?』みたいな言い方をされる。親からは『継げ』とは言われないんですが、『宗派の大学に行ったらいいよね?』みたいな謎の誘導を受けて、私にはそれしか認められてないんだなって感じていました。『自分で考えなさい』と言われるんですけれど、じゃあ私が全然違う大学に行くって言ったら、入れてくれるの?みたいな。
ただでさえ家がしっちゃかめっちゃかなのに、私がそんなことを言ったら、うちはどうなっちゃうんだろうと思うし、母が周りからやぁやぁ言われて苦労するのも目に見えている。自分がやりたいこと以前に、いまの家庭環境を少しでも平和に維持するためには、その選択肢しかないんじゃないのかな、というのが最終的な自分の判断だったんです。いま考えると、もっと私自由に生きてよかったと思うんですけれど」
「こうしろ」とはっきり言われるよりも、「当たり前」のこととして空気で求められる要求のほうが、はねのけるのが難しそうな気もします。
悩みを共有できる相手が周囲にいなかったのも、つらいことでした。高校の頃に一度、友達に打ち明けようとしたら、話のさわりの部分で「お寺のことはちょっとわからないし、なんとも言えないね」と言われてしまったこともあったそう。
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