母親から暴言や性虐待を、きょうだいからは暴力を受け続け、15歳のとき自ら児童相談所に行って保護を受けたという、19歳のららさん(仮名)。
寄せられたメッセージには、現在は「平和に過ごしています」と添えられていたものの、鵜呑みにもできず、6月の平日、ビジネス街にあるオープンカフェで待ち合わせました。やわらかな、薄曇りの朝でした。
現在は家族と離れ、ほぼ1人暮らしをしているというららさんに、これまで見てきた風景を、教えてもらいました。
周囲からのいじめ、秘密を約束してくれた教員の裏切り
ららさんも両親も、国籍は外国です。ただし、ららさんは日本で生まれ育ったので、母語は日本語であり、見た目からルーツを察せられることもないようです。
両親がなぜ日本に来たのかは、よくわかりません。母親も父親も裕福な家の出身で、結婚してから日本に移住し、子どもたちを生み育ててきました。国にいる親元に送金するのではなく、逆に親から仕送りを受けていたようなので、「出稼ぎ」という言葉はあまりあたらなさそうです。
ものごころが付いた頃から、母親はずっとイライラしており、ららさんをたたくことがありました。就学前から中学生になるくらいまでは、胸や股間を触るなどの性虐待もあったといいます。驚くかもしれませんが、母親や祖母による子どもへの性虐待も、取材をしていると、ときどき聞きます。
小学校4、5年生の頃までは、なぜか「女の子の格好」をさせてもらえませんでした。「これくらい」と彼女が手で示した髪の長さは、ベリーショートよりも短いくらい。スカートは「禁止」で、いつも兄のお下がりを着せられていました。周囲からは男の子と間違われることが多く、女の子から「女子トイレに入るな」と言われることもあったそう。
当時は重度の吃音もありました。男子からは毎日のようにいじめられ、学校の先生も、彼女に目をつけていました。野菜が苦手なららさんが給食を残すと、「胸ぐらをつかまれて、ずっと居残り」をさせられたといいます。
プールの時間には、つらい思い出があります。親から言われたとおり、水着の下にパンツをはいていたところ、気付いた補助教員から注意されたそう。「ほかの先生には秘密にする」と言ってくれたのですが、翌年度プールが始まるとき、担任は「誰とは言いませんが、水着の下にパンツをはいていた人がいました」とみんなに話し、笑い者にしたのです。
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