「あのときは結構、泣きました。それからは『大人は信用できない』と思って」
人間不信になるのも仕方がないでしょう。子どもに対して約束したことを破る大人は、子どもに近づかずにいてほしいものです。そもそも家庭のバックグラウンドはさまざまです。本人がつらい思いをしないよう、学校は事前にもっと多くの情報を、子どもや家庭に伝える必要もあったように思います。
最後の力を振り絞り、先生に話して通報してもらった
学校には毎日、遅刻せざるをえませんでした。母親は子どもが1人で外出することを許さず、必ず登校に付き添っていたのですが、子どもたち全員が始業時間に間に合う時間に家を出なかったからです。ららさんは「100%遅刻」で先生に怒られ続けていましたが、先生が母親に直接注意をしても、まったく改善はありませんでした。
家ではきょうだいからの暴力もありました。兄からはすれ違いざまに首を絞められたり、髪をひっぱられたり。姉からは頭を踏みつけられて流血したことも何度かあり、小学生のときのららさんは、いつもあざだらけだったといいます。警察が家に来たことも、二度ほどあったそう。
父親も家ではよく暴れていました。ららさんが学校から帰ると、「ガラス類とか全部ぐちゃぐちゃ」になっていたり、ららさんのベッドを壊してしまったり。時には母親に手をあげることや、ららさんを殴ろうとすることもあったといいます。
「そんなだったので、正確な時期はわからないんですけど、小3くらいからたぶん、うつ病を発症したのかなって感じです。最終的に食べなくなっちゃったんですけどね。中3の頃、3日くらい食べなくても何にも問題なくて。自殺とかずっと考えて、いちおう自殺場所まで行って。でも最後の力を振り絞って、中学の先生に話して通報してもらって、児相に保護されたって感じです」
通報後、ららさんは半年ほど、一時保護所で過ごすことになりました。環境の劣悪な一時保護所もあることが近年問題になっていますが、ららさんが入った保護所の生活は「思ったよりはよかった」そう。
もしかすると、ほかの子どもたちの境遇の過酷さに驚いて、相対的につらさを忘れた面もあったのかもしれません。ひどい傷跡のあった子どもや、信じがたい経験をさせられた子どもの話を、ららさんはよく覚えていました。
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