大震災と原発事故という未曽有の大災害に自衛隊は約10万人を動員し、米軍も最大時1万6000人、艦艇約15隻、航空機140機が参加した2011年の東日本大震災。平常の災害出動とは全く異なる「有事」ともいうべき際に、当時、防衛省統合幕僚監部の防衛計画部長の職にあり、日米両政府・軍の連携調整にあたった磯部晃一氏が、「有事」に対応するための「国家戦略」を解き明かす。
国家戦略を欠いていた戦後の日本
「国家戦略」とは取り扱いに難儀なものである。これを国民受けする簡単なワン・フレーズに落とし込み、勇ましく振りかざし始めれば、国の将来を誤るおそれがある。
しかし、「国家戦略」は国家の向かうべき方向を示すもので、国家としてなくてはならないものである。周辺地域の情勢や世界のトレンドを冷静かつ客観的に見つめ、自らの立ち位置を明らかにし、現実に即した国家の利益を見極めて、国家を経営していかねばならないからである。ここには、透徹したリアリズムと同時に、国民国家としてのイデアリズムも加わってくるので慎重な取り扱いが必要である。
戦後の日本においては、「国家戦略」を声高に主張することはあまりなかったし、政府も主導的に「国家戦略」を規定してこなかった。
戦後復興期の日本は、「国家戦略」などという大それたことを考える余裕もなく、今を生きるのに精一杯であったのが実態ではなかったか。高度経済成長を謳歌していた時代は、経済発展を第一義に考えて、安全保障面ではアメリカの庇護のもとに、最後はアメリカに助けを求めればよいではないか、といった風潮があったであろう。
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