バイリンガルではないけれど
――フランスの名門大学院へ留学、外資系投資銀行を経て、アメリカで日系大手銀行に勤務。国際的なキャリアを歩まれていますが、もともとの海外志向は?
もともと海外志向は強かったと思います。海外に出ることは、突然、出てきた選択肢ではなく、かなり昔から「いつかは必ず出る」というイメージを描いていました。「30歳までにまた海外に出る」と毎年手帳に書き込んでいました。
両親が6年ほど仕事の都合でハワイに住んでおり、私も生まれてから4歳まではハワイでした。海外での就学経験はなく、バイリンガルではありません。ただ、小学生の頃からアメリカへのあこがれが強く、友達を作るのが得意ではなかったこともあり、自分の居場所は日本ではないとずっと思っていたフシがありますね。
――まず、この企画、バイリンガルはインタビュイー対象外なので(英語のハンデを日本人がいかに乗り越えるかも大事なトピックであるため)、安心しました(笑)。しかしアメリカへのあこがれがありながら、金子さんは最初にフランスへ留学されていますよね?
そうなんですよ。大学を半期休学して、フランスへ語学留学に行きました。高校生の頃、9.11同時多発テロ事件があり、続いてイラク戦争が起きました。
ブッシュ政権のアメリカに対して自分の中に疑問があふれ出てきて、アメリカのフィルターを通さない世界・価値観というものに興味を持つようになりました。フランスのドビルパン外相が、当時の国連安保理で対イラク開戦反対の演説をしたことは、今でも鮮明に覚えています。それが、フランス語学科に進学したきっかけになりました。
フランス語でのけんかにも勝った留学時代
――私もフランスに留学していたのですが、特にパリは、あの街並みと、独特な空気がたまらないですよね。パリ留学中、特に記憶に残っているエピソードはなんでしょうか?
アフリカ系のおばさんとフランス語でけんかして勝ったことです(笑)。
石崎さんもご存じのように、パリも地域によって色合いが全然違って、サン・ドニ界隈にいるのはアフリカ系の人ばかり。髪をコーンローにしてもらおうと、美容院へ行ったのですが、クオリティにどうしても不満が……。
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