私が思う小池氏の「最大のすごみ」は、「絶対に怒りの表情」を見せないことです。
「『怒りながら叫ぶ女』はどうして嫌われるのか」という記事の中でも詳述したように、残念ながら、「怒る男性」は許されても、「怒る女性」は非常に嫌われやすいものです。
アメリカのヒラリー・クリントン元国務長官や立憲民主党の蓮舫氏がたたかれやすいのは、「怒気」を顔いっぱいに表現するコミュニケーションスタイルを本能的に受け付けない人が多いからです。
そういった意味で、「感情」が顔に出やすい女性はリーダーとして非常に不利なわけですが、小池氏のすごいのは、「怒り」を絶対に表情に出さないところ。
記者から、あからさまに攻撃や不快なことを言われても、ぐっとこらえて、「どういう意味でしょう」と、にこやかに返すところは、ある種「鬼気迫るもの」があり、それはそれで怖いのですが、その抑制ぶりは実に見事です。
小池氏の「コミュ力お化けぶり」はまだまだ衰えない
「小池都知事圧勝の理由は『敵失』だけではない」(卓越した言葉のセンス)、「小池百合子の『凄み』はストーリーを語る力だ」(ストーリーを語る力)、「小池都知事、『安全だが安心ではない』の欺瞞」(人の感情に訴えかける力)、「都知事選『小池圧勝』は"対話力"で説明が付く」(対話力)など、私はこれまでさまざまな角度からそのずば抜けたコミュ力を分析してきましたが、小池氏は、まだまだ衰えを知らないようです。
「お手紙」「おばちゃん」「怒らない」。この「3つの作戦」は、彼女の「コミュ力お化けぶり」を象徴するものと言えるかもしれません。
その「臆面のなさ」「ずるがしこさ」を「劇場型」と批判する人は多いわけですが、密室の「おっさん政治」に嫌気がさした人たちの期待を吸い上げているのは間違いありません。
「『おっさん』と『おばさん』の戦い」か、あるいは「共闘」か。その「権謀術数」から、しばらく目を離せそうもありません。
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