「ミートボールとか、鶏のから揚げとか、デザートのプリンとか、子どもが好きそうなメニューはおよそ食べた記憶がありません。『お前にはもったいない』とみんな持っていかれるんです。『やめなよ』と言ってくれる女子もいましたが、お構いなしでしたね。給食はいつも余り物を食べていました。夕方になるとおなかがすいて仕方がありませんでした」
中学では、柔道部に強制的に入部させられた。同級生3人に囲まれ「逆らうとどうなるかわかってるのか」と脅され、入部届に名前を書かされたのだという。案の定、部室の掃除や道着の持ち運びをやらされ、顧問の目が届かないところで技をかける実験台にされた。
いじめに加わる生徒の数は増える一方で、いさめてくれる女子生徒は次第にいなくなった。いじめられる原因にあえて言及するとすれば「僕が鈍くて、何をするのも遅い子どもだったからではないでしょうか」とトモノリさんは言う。いずれもADHDの特性と関係があったと思われる。
教師に「学校に行きたくない」と訴えたこともあるが、そのたびに「(いじめた側は)元気のあるやつらだから。(トモノリさんのことが)憎くてやってるわけじゃない。こんなことくらいで学校に行きたくないなんて、これからどうするつもりだ」と逆に説教された。
「誰も助けてくれませんでした。傍観してるだけ。僕が教室で殴られていても、みんな笑って見てるだけ。僕の代わりに先生に言ってくれる人もいなかった。あのころはクラスの全員を憎んでいました」
自殺を試みたら父親から殴られた
トモノリさんは中学3年生のときに自殺を試みたことがある。ノートの切れ端に「僕は死にます」と書いたメモを黒板に張り付けて近くの裏山にのぼった。そのまま飢え死にしようと思ったのだという。“遺書”を残したのでちょっとした騒ぎになったが、結局その日のうちに教師に見つかった。帰宅後、父親からは「いじめられるお前に原因がある。こんなことをして楽しいか」と殴られたという。
この自殺未遂後、トモノリさんが欠席している間にクラスでは話し合いが行われた。その様子を後になって人づてに聞いたところ、同級生たちは「(トモノリさんが)いじめだと勝手に思い込んでいるだけ」「遊んでいるように見えました」と言い、誰一人いじめを認める者はなかった。
それから卒業までは、殴る蹴るの暴力は減ったが、今度は無視をされるようになった。夏のキャンプやスキー教室では生徒同士でグループをつくるのだが、トモノリさんは「お前、誰だっけ」「お前は1人でもいいよな」と言われてのけ者にされた。結局こうした課外授業では、トモノリさんは教師と行動をともにしたという。
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