やる気がない人とある人が分かれる生物学的理由 目の前の仕事が大事に思えなくてもしょうがない
気が散って集中できないの、しょうがない!
仕事に「集中できない」となげく人も、好きなゲームには没頭しているものです。つまり、「集中できない」のは、「集中すべきもの」のほかに「集中したいもの」があり、そちらに気持ちが奪われて、注意散漫になっているからなのです。
「集中したいもの」があるのは、いいことなんです。人生の喜びです。これを否定してはいけません。
だから、「集中すべきもの」のほうを考えましょう。集中すべきなのに集中できないのだとしたら、ほとんど社会の側の責任です。
狩猟採集時代を思い起こしましょう。
何時間も草原を歩いて、獲物を追いつめ「いざ狙い打ちだ」というときに、あるいは、食べられそうな木の実が見つかったときに、作業に集中できないという人はおそらくいないでしょう。
このような意義が「集中すべき仕事」に感じられなければ、集中できないのが、いや、集中しないのが当然です。それを「集中力に欠けている」とか「注意散漫だ」などと言う上司がいたら、その上司がリーダーシップに欠けているのです。ダメ出しよりも、仕事の意義や重要さを部下にもっと語らねばなりません。
考えてもみてください。機械でもできそうな単調な仕事を1日中時間どおりに続けたならば、何かほかのことを考えて注意がおろそかになりますよね。「集中力に欠ける」のはあたり前のことです。
また、注意散漫は否定的にとらえられがちですが、そうでもないのです。
おいしそうな木の実が見つかりみんなで集めているときに、茂みに猛獣が潜んでいるのが見えたらどうしますか。木の実を放り出して一目散に逃げますよね。もし採集に集中している人がいれば、真っ先に餌食になってしまいます。
つまり、注意散漫は、もっと大事なことに気づいたときに、そちらに思考を切り替えるための自然な仕組みなのです。仕事中にゲームのボスを倒す作戦を思いついて仕事がおろそかになるのは、生き残り戦略の一端なのです。
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