医療政策で「需要」と「ニーズ」を使い分ける理由 知っておいたほうがいい「医師誘発需要仮説」

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医療サービス市場を考える上で、次のようなことも念頭においておくほうがいいだろう。診療所や病院が取り扱っているサービスには、いろんなものがあるということである。果物屋さんに出かければ、ミカンも置いてあれば、バナナやメロンも置いてある。

医療市場は果物屋のような市場構造

医療も似たようなもので、病院や診療所は、緊急であったり、極めて重篤な病気も取り扱われていれば、軽症はもちろん、self-limited disease(自己制限疾患と訳されたりもするが、英英辞典によれば、特段の治療を行わなくても時間の経過とともに自然治癒する疾患)も取り扱われていることもあろう。この医療の市場構造は、ミカン市場とかバナナ市場というような単一の財を取り扱っている構造とは異なる。

20年程前に、筆者はこの市場構造の特性を「特殊重層市場」と名付け、「医療サービス交換の場は代替性の弱い異質のサービスを時間と空間にわたって包含した特殊重層市場として観察され、サービスの質を制御し、単一市場分析に適用される経済学的価格を定義する途の障害は高い」と論じていた(『再分配政策の政治経済学――日本の社会保障と医療』(2001年))。

そうした特殊重層市場では、仮に患者負担率の高まりにより、人が病院を訪れる回数が減るとすると、その時は、どの種類の医療ニーズが減るのだろうかという、もうワンステップの思考が求められることになる。

新型コロナウイルスの影響においても、昨年の医療需要の減少は、どのような医療ニーズの減少によるのかと問うこともできる。この問いについては、疾患別患者数の変化に基づいて、手洗い・うがい・マスク着用など「衛生面要因」によるコロナ以外の感染症の減少、外出自粛、休業や子どもの休校に伴う「環境要因」による罹患の低下、コロナ感染リスクを懸念して不要不急の受診を控える「受診行動の変化」という医療ニーズ面での変化の可能性などが指摘されている(アキよしかわ・渡辺さちこ『医療崩壊の真実』(2021年))。

しばしば、医療においても価格弾力性が論じられることがあるのだが、これを論じるためには価格の定義が必要となる。価格弾力性は、通常は「単一市場分析に適用される経済学的価格」によって測定されるものであり、たとえば、クルーグマンのテキスト『ミクロ経済学』では、蛇用解毒剤、ピンクのテニスボールなどを対象として、価格弾力性の解説をしている。

では、そうした単一財に相応する医療の価格というのはあるのかというと、これがなかなか難しい。しばしば、患者の自己負担率を価格と見立てたりして、いわゆる「価格弾力性」が測定されていたりはする。しかしその解釈には注意を要し、特殊重層市場である医療市場で価格と見立てた変数が上昇した際の受診日数の減少などは、蛇用解毒剤やピンクのテニスボールというような単一財の需要が減少したことと同じにイメージすることはできないのである。

もっとも、政府の予算編成などのために、自己負担率の変化が予算にどのような影響を与えるかを考える際、患者負担と受診日数の間に弾力性的な関係を想定することはある。しかしそこでの数値を、蛇用解毒剤やピンクのテニスボールなど、単一の財の市場での価格弾力性と同じようなイメージで解釈することはできないことは意識しておこう。いや、そうした解釈の流布は弊害でさえある。

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