(第31回)【変わる人事編】「大卒求人倍率調査」から見えてくる就職の風景

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 学生が出席できるセミナーや面接社数は限られているが、絞り込んでいては確率が上がらないからエントリー社数を増やし、とりあえずセミナー予約をして後で都合が悪くなれば取り消す。企業は逆に申し込み数から実数を推定して会場の手配をする。

 しかし企業にとっても、学生にとっても超繁忙なのは連休までだ。その後に就職戦線は徐々に縮小していく。採用予定数を確保できない企業、内定をまだもらっていない学生はその後も活動を継続しているが、セミナーなどの開催はまばらになる。そして企業は夏前から次の年次の採用計画を進め、10月に就職ナビがオープンする。毎年同じことが繰り返される。ただし少しずつ変化していることもある。

 就職ナビが登場したのは1990年代の半ばだが、当時のオープンは12月だったと記憶している。2000年代に入ってブロードバンドが普及すると、企業と学生の双方に不可欠なツールになったのと同時に少しずつオープンが早まり、いまでは10月1日だ。インターンシップも10年前までは理工系学生の工場実習を除いて、ほとんど存在しなかった。しかしこの数年で採用活動の一形態として完全に定着している。

 いずれの変化にも背景がある。少し長期的に日本の新卒採用の歴史について振り返ってみよう。

●1990年までの新卒市場と日本経済

 日本独自の就職システムがいつできたのかというと、その始まりは、リクルートの創業者である江副浩正氏が東大新聞に求人広告を掲載したところからと言うのが定説だ。1970年の初期には新卒求人を提供するのはリクルート社とダイヤモンド・ビッグ社(現在はダイヤモンド・ビッグ&リードが事業を継承)の2社だったが、ダイヤモンド・ビッグ社から、毎日コミュニケーションズ、ディスコなどが誕生する。ちょうど同時期にユー・ピー・ユー(現ウィルソン・ラーニング ワールドワイド)や人材開発企画センター(現ジェイ・ブロード)が設立された。

 ただ、1970年代に民間の就職情報会社が圧倒的な力を持っていたわけではない。依然として大学の就職課を利用する企業と学生は多かった。1970年代は2度のオイルショックを経験しており、日本経済の規模も小さかった。

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