私がコミュニケーション修業のために渡米したとき、数多くの「鉄人」に師事したのですが、その中のひとりに「ボディランゲージの専門家」がいました。
「ポーカーのチャンピオン」だったという彼は、人の「表情」や「動き」を読み、ゲームを有利に進めるという特技を生かして、「ジェスチャー」や「魅せ方」を教える学校を開いていたのです。
その教えの中で、最も印象的だったのは、「リーダーシップや強さは『その人の占める空間の大きさ』で決まる」という考え方でした。「背はピンと伸ばし、身振り手振りで、なるべく大きなスペースを取りなさい」というわけです。
トランプ前大統領などを思い起こしていただければ、わかりやすいでしょう。
彼は身長190センチの巨漢ですが、アコーディオンを弾くように手を左右に大きく開くしぐさを多用していました。威風堂々とふるまうことが強さを印象付けるのだ、という認識なのです。
へりくだりすぎる「日本人のボディランゲージ」
そんな姿を見慣れた私にとって、驚きだったのが、「自分を過剰なまでに小さく見せ」「へりくだる」日本人のボディランゲージでした。
例えば、帰国の飛行機の中で見かけた、ひざまずき、客と目線を合わせて話をするCA。さらに、日本到着後、リムジンバスに乗ろうとすると、係員が身をすぼめ、深々と頭を下げるではありませんか。成田から都心まで1000円ぽっきりの格安バスです。そこまで丁寧にしてもらうのは申し訳ない気がしました。
「ファーストクラス級」の「おもてなし」に慣れきっている日本人からすると、違和感はないかもしれませんが、世界から見ると極めて異例です。はたして、CAやバスの係員は、つねに客に「奉仕」する立ち場の人間なのだろうか、とふと考えてしまいました。
そもそも、彼らの第一義的な責務は「安全運行を提供すること」であり、客との間に上下関係などはないはずです。
一連の所作が、客が上で、人々は仕える身という「主従関係」を固定させることにならないだろうか。そんな疑問がわいてきたわけです。
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