50代で「定年前転職」を選んだ人の切実な本音 「定年70歳時代」をあなたはどう生きるか

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若手に疎まれ、「妖精さん」(「朝の社食に出没『妖精さん』はなぜ生まれたのか」を参照)などと呼ばれるぐらいなら、いっそのこと定年前に今の会社を飛び出し、新しい生き方に挑もう。そう考える人が増えてもおかしくありません。「老後レス社会」を見越して、早めの決断で次の一歩を進み出した中高年たちのケースを見てみましょう。

人件費を削るために早期退職募集を始める企業が増えています。そのターゲットは多くが中高年ですが、追い出すどころか、中高年に絞った中途採用をしている会社が大阪にあります。機械設備の製造販売を手がけるサノヤスホールディングス(HD)です。

米田康浩(よねだ・やすひろ)さん(60歳)は、55歳だった2016年にパナソニックから転職しました。

1981年に新卒で旧松下電器産業に入社した米田さんは、テレビ局向けのAV機器の研究や開発、技術部門の事業企画など計34年間を松下・パナソニックで過ごしました。定年を前に「もう一度新しい環境で挑戦を」とサノヤスHDに転職後は、グループ会社の合併や新工場の建設を担当し、現在はグループ会社の役員です。

「パナソニックで培ったマネジメント能力はこちらで役立っています」(米田さん)

サノヤスHDは造船会社として1911年に創業。時代の荒波を何度も乗り越えてきましたが、1970~80年代の造船不況に苦しんだ時期、新卒をほとんど採用できませんでした。そのため、一定年齢層の社員が不足する状況に直面します。50代がぽっかり空いてしまったのです。

ここで上田孝(うえだ・たかし)社長(当時。現在は会長)は、「(サノヤスHDには)管理職となる50代が足りない。一方、大企業にはそうした人材がくすぶっている」ことに着目しました。2013年からこうした管理職のシニア採用を始め、現在では22人が働いています。

「1着10万円」から「100匹で5万円」へ

横山祐二(よこやま・ゆうじ)さん、59歳。福島県川内村で温泉施設やレストランなどを運営する第三セクター「あぶくま川内」の取締役であり、特産品の開発・販売を手がける合同会社「かわうち屋」の代表も務めています。

転職前の横山さんは、名門アパレルメーカーの営業マンでした。1983年に大学を卒業した横山さんが就職したのは三陽商会です。英国を代表するファッションブランド「バーバリー」を日本で扱ってきたことで知られますね。三陽商会は1969年に、バーバリー社とライセンス契約(製品の企画、製造、販売)を結んでいます。

ところが、このライセンス契約の終了が決まったことで、横山さんの充実した会社人生は大きな変化に見舞われます。

バーバリー社との契約終了が社内に知られるようになったのは、2012年の末ごろ。三陽商会にとって売り上げの半分を占める屋台骨のブランドを、その2年半後には失うことになりました。「社員数が多すぎるという認識が広がり、会社の雰囲気がどうなるか予想できました」(横山さん)。

横山さんは希望退職に応募することを決めました。53歳でした。

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