お金を忌避する人に知ってほしい「伝説の講演」 思想家・内村鑑三が100年前に説いた生き方

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「お金はなんとかなる」と言う人ほど実はお金に執着している(写真:【IWJ】Image Works Japan/PIXTA)
1894(明治27)年、今から100年以上前、明治時代のとある夏の日、日本を代表する思想家・内村鑑三が当時の若者を集めて講演を行った。この講演の記録は、『後世への最大遺物』というタイトルで本としてまとめられ、今も読みつがれている。内村がこの講演で語ったのは、「死ぬときに何をのこすべきか」ということ。
意外にも内村は、いちばん最初にのこすべきものはお金であると語ります。キリスト教徒でもある内村が第一に語ったのはなぜお金なのか? そして誰もがのこせる自分だけの価値のあるものとは何か? 100年以上前の名著を現代語に読みやすくし、佐藤優氏が解説を加えた新刊『人生、何を成したかよりどう生きるか』より一部を抜粋しお届けします。

「歴史に名をのこしたい」は悪いことではない

このあいだ、アメリカのある新聞で見ましたが、夫をなくした大金持ちのある貴婦人が、「死んだ後に私の名を国中の人たちに覚えてもらいたい。しかし自分のお金を学校に寄付するとか、病院に寄付するのは、普通の人と同じだから、私は世界中のだれも造ったことがないような、大きな墓を造ってみたい。そして歴史の中で長く記憶されたい」と言って、先日その墓が出来上がったそうです。

どんなに立派な墓なのかは知りませんが、その費用に驚きました。200万ドルかかったというのです。200万ドルをかけて、自分の墓を建てるのは、確かにキリスト教的な考えではありません。

しかし、歴史に名を遺したいと思うのは、そんなに悪いことではなく、むしろ、キリスト教信者にとってよいことなのではないかと思うのです。

キリスト教では、人生は、未来の前にある階段だと考えます。大学に入る前の高校のようなものです。私たちの人生がたった50年で終わってしまうとしたら、生きている甲斐がないかもしれません。しかし、キリスト教では、人間は「永遠に生き続ける」ために、現世に生まれてきます。喜怒哀楽の変化が霊魂を創り上げ、最終的に不死の人間となって、この世を去り、天国でもっと清らかな人生を永遠に送るのだという教えを私は信じているのです。

これは宗教の話なので、今晩ここでみなさんにお話ししたいことではありません。ただ、私には1つの願いがあります。この世という高校を卒業して、天国という大学に入れば、それで満足なのかというと、そうではなく、「清らかな欲望」が残っているのです。私に50年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、私たちを育ててくれた山、河、こうしたものに対して、何も遺さずには死んでしまいたくはないという気持ちです。

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