お金を忌避する人に知ってほしい「伝説の講演」 思想家・内村鑑三が100年前に説いた生き方

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死んで、自分だけ天国に行くのではなく、この世に何かを遺していきたい。別に後世の人に褒めてもらいたいとか、名誉を遺したいと思っているわけではありません。ただ、私がどれほどこの地球を愛し、世界を愛し、仲間を思っていたかという証、英語でいう、メメント(記憶)をこの世に置いていきたいのです。これは決していやしい考えではないと思います。

私はアメリカの大学に留学しているときにも、いつもそう考えていました。そして大学を卒業するときに、同級生たちと学内に記念樹を植えました。私を4年も育ててくれた大学に何らかの気持ちを遺したかったからです。同級生でお金持ちの人たちは、記念樹だけでなく、音楽堂を寄付したり、図書館を寄付したり、運動場を寄付していました。

しかし、今、私たちは、この世界という大学を去るのに、何も遺さずに死んでしまうのでしょうか。いえ、この講演の初めに言ったような「歴史に名を遺したい」という意味ではなく、この地球に何かメメントを遺したい、この地球を愛した証拠、仲間たちを愛した記念碑を置いていきたい、という意味での「歴史に名を遺したい」という気持ちがあります。死んで天国に行くとしても、この世に生まれてきた以上、少しでもこの世の中をよくして死んでいきたいということです。

社会をよくしたければまずは金を稼げ

そして、次は、何を遺すかが問題です。愛する地球を去るときに何を置いていけばいいのでしょうか。私はそのことについて考え、考えるだけでなく、いろいろやってみました。遺したいものはいろいろありますが、それを全部はお話しできません。しかし、何を遺すかというときに、まっさきに思い浮かんだものからお話ししようと思います。

後世へ遺すのに、一番大切なもの、それはお金です。子どもに遺産を遺すだけでなく、社会に遺すということです。多くの人がそう思うのではないでしょうか。

しかし、そういうことをキリスト教徒に言うと、お金を遺すというのは、非常にくだらないことだと言われてしまいます。明治16(1883)年に初めて札幌から東京に出てきたとき、東京ではキリスト教徒が急に増えるような不思議な現象があって、「リバイバル(信仰復興) 」と呼んでいました。私はその時、実業家になる教育を受けていたので、日本に財産を遺して、日本を救いたいと思っていました。

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