人格と仕事を切り離せない日本人

1939年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、読売新聞社に入社。論説委員、法務室長、社会部長、総務局長などを経て、2004年1月に読売新聞東京本社代表取締役社長兼編集主幹に就任。同年8月より、読売巨人軍オーナーを兼任。東京本社会長、相談役を歴任。著書に『新しい法律記事の読み方』(ぎょうせい・共著)、『新・法と新聞』(日本新聞協会・共著)がある。
滝鼻:それをやるのにいちばんいいポジションにいるのがジャーナリストです。大学なり会社なりは、どうしても自分を守ろうとする力が働きますので、大学の先生が、大学の恥部を暴くのをためらうのは理解できます。ただし、読売新聞の記者でも朝日新聞の記者でも、ジャーナリストは書くべきことを書いても会社をクビになるわけではありません。正当な行為であれば、組織はジャーナリストを守ってくれるはずです。
それなのに、ジャーナリストが書くべきことを書かないのは、職業としてのジャーナリストの質や能力がかなり低下してきた証拠ではないでしょうか。
山折:それはよくわかります。たとえば、最近は光が当てられるようになりましたが、(沖縄返還をめぐる日米の密約を暴いた)西山太吉記者の半生は非常に孤独で、ある意味では悲しくつらい人生だったと思います。なぜそうなったかというと、女性との関係です(編集部注:西山氏は、外務省の女性事務官との不倫関係を通じて密約情報を得た)。当時は、世論、マスコミが一緒になって西山氏を批判しましたが、その女性問題を批判する眼差しとはいったい何かということです。
西洋であれば、個人的なプライベートな話と、彼の主張や仕事に対する評価は切り離すはずです。しかし、日本ではそれが一緒になってしまう。人格と職業は一体のものだというのが日本人の感覚です。ヨーロッパでは、職業的な仕事をきちんとやっていれば多少は人格的に外れたことやっても、それは大した問題ではないという部分があります。
学問の世界でも同じです。学問の評価は、新しい発見を1ページ1行付け加えられるかどうかですが、日本の場合は、人格性が伴ってしまう。人間的に問題のある学者は、評価が上がりにくい。
滝鼻:私は、人格と仕事とは、多少のズレがあってもしょうがないという考え方です。フランスの大統領しかりです。歴代大統領の中には人格的には問題があった方もいた。
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