宇野重規「民主主義にはそもそも論が必要だ」 「デモクラシー」はいつから肯定的になったのか

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私は、トクヴィルのそういう多義的なデモクラシー論が好きだったんです。ですから、当初はトクヴィルにちなんで、私も多義的な意味でデモクラシーという言葉を使っていました。実際、『〈私〉時代のデモクラシー』という本は、トクヴィルの「平等化」や「個人主義」に関する分析がびっくりするぐらい日本の今に当てはまることを説明したくて書いたものです。

その後に出したのが『民主主義のつくり方』ですが、このときに「民主主義」という言葉を私は選んだんですね。デモクラシーの訳語として、民主主義はあまりいい言葉じゃない。そもそもデモクラシーは「主義」ではありませんから。でも、日本人に向かって「デモクラシー」というと、なんとなく抽象的で、アカデミズムっぽいんですよ。

――自分とは関係ない学問の世界の話のように聞こえてしまうと?

そうなんです。例えば、「いま、民主主義を問い直すことが大切だよね」と語りかければ、「そうかも」と言ってくれる人はいるかもしれません。でも、「デモクラシーを鍛え直さなければ」なんて言った日には、「学者さんが何か言ってる」と受け取られるだけでしょう。だから、いい訳語ではないけれど、世の中に対してメッセージを出すときには、やっぱり「民主主義」を使ったほうがいいだろうと思ったわけです。

民主主義を楽観視できない時代に入った

――2013年に出された『民主主義のつくり方』は、アメリカのプラグマティズムを参照しながら、これからの民主主義について前向きに論じていた点が印象的でした。

一般的に、「プラグマティズム」って軽薄な思想のように捉えられがちなんですね。深い思慮がなく、実用的に結果さえよければいい。そんなふうに思っている人もけっこういます。

でも、そんなことはなくて、プラグマティズムの思想は現代の民主主義に重要な示唆を与えているんですよね。例えば、プラグマティズムの思想家であるジョン・デューイは、民主的な社会を、一人ひとりの個人がさまざまな実験をし、経験を深めていくことを許容する社会だと捉えました。私もこの考えに強く同意し、新しい民主主義のあり方を構想する手がかりとしました。そして、デューイのいう「実験」の実例として、全国から移住者が集まる島根県海士(あま)町、東日本大震災の被災地で活動するNPOを本の中で取り上げたわけです。

ただ、いまから振り返ると、あの時点ではまだ民主主義に楽観的だったのかもしれません。

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