財力がある家庭の子ほど「東大」に進学する現実 大学受験ではずっと「公平さ」が問われてきた
慶應義塾の創設者・福沢諭吉が記した『学問のすゝめ』には「『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』と云へり」という一文が記されている。あまりに有名なこの言葉だが、実は社会一般の「公平さ」を論じつつ、下級藩士出身だった諭吉が「上級藩士の子弟ばかりが有利な人生を送ることができる」事実を嘆いてのものだったとされる。
たとえば同書の「中津の旧友に贈る文」(9編・10編)の中では、「わが国士族以上の人、数千百年の旧習に慣れて、衣食の何ものたるを知らず、富有のよりて来たるところを弁ぜず、傲然(ごうぜん)みずから無為に食して、これを天然の権義と思い、その状あたかも沈湎冒色、前後を忘却する者のごとし。」(『日本の名著 33 福沢諭吉』中公バックス、中央公論社)と記している。
こうした世の中の不公平を是正するためにも、政治家や教育界を中心に、旧制高校や帝国大学、各省庁に入るさいのコネによる入学、入省を排除し、公平な試験を課して有能な人を選抜する方策を導入するべし、という機運が社会全体で高まっていく。
試験に合格すればエリートになれる
そして『近代日本の官僚―維新官僚から学歴エリートへ』(清水唯一朗著、中公新書)などによれば、その主張は「学力を問うべき」というのが中心で、つまりは試験の得点で合否を決めよ、というものであった。学力到達度は数字で表せるので、これが誰をも「不公平」に扱うことがない制度であると信じたのだろう。
なお、日本国内初の近代的大学とされる東京大学、そのホームページに掲載された『東京大学百年史』によれば、大学自体の創立は1877年とされるが、その前身の1つである東京開成学校でもすでに入試は行われていたとされる。
つまり明治維新が始まってすぐの1870年代頃から試験に合格した学問的な優秀者のみが、旧制高校や帝国大学で学ぶ資格があるとされ、その後、高等文官試験に合格すれば高級官僚として働く資格がある、というふうに社会的にみなされるようになった。
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