財力がある家庭の子ほど「東大」に進学する現実 大学受験ではずっと「公平さ」が問われてきた
新刊『大学はどこまで「公平」であるべきか』でたびたび触れたが、大学改革論議のキーワードの1つが「公平さ」であった。
これはつまり大学入試において、いかに受験生が公平に試験を受けられ、かつ公平に判定されるか、ということを指していた。
もちろん筆者も「入学試験が公平に実施されるべき」という点に異論はない。しかし、そもそも入試改革を巡る論点がなぜ「公平さ」に集中するようになったのか。その歴史を振り返って考えてみたい。
出世に「家系」が不可欠だった日本
学校(中等教育、高等教育)において入試が導入されたのは明治時代、学校制度が整備された頃までさかのぼる。明治18(1885)年に森有礼が初代の文部大臣として就任すると高等学校令、中学校令などの学校令を公布。諸々の学校の設立・整備に着手した。
その中の1つとして、帝国大学(今の東京大学)や旧制高等学校で入学者を選抜する入試が導入された。
当時の帝国大学出身者は、高等文官試験に合格すれば、基本的にはそのままエリート官僚となっていった。なお学校令交付前は、当時の雄藩(薩摩、長州、土佐など)出身の旧武士の子弟が、コネを使うことで各省に入省し官僚になることができた。
さらに江戸時代にさかのぼれば、各地の藩校ではこの藩士の息子が優先的に入学できて、他の職業の子弟では多くの場合、入学できなかった。
このように江戸時代や明治時代の初期は、出世するには「家系」が大切で、かつ、どの藩の出身かという「藩閥」が幅を利かせていた時代であった。しかしこれでは雄藩以外で育った有能な人を排除することになるので、不公平であり、彼らを排除するのは国家の損失と考えられたのである。
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