プロ引退1年、森福允彦を今も支える2つの武器 ホークス、巨人に在籍し、33歳で戦力外通告

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森福は2006年大学生・社会人ドラフト4巡目で福岡ソフトバンクホークスに入団。流行の先端をいくようなヘアスタイルからも推察できるが「見た目がこれですからねえ」と森福は笑う。そんな見た目とは裏腹に、実は超マジメで朝から晩まで24時間、野球漬け、であったならまた違った〝森福伝〟になっただろう。

しかし実物は見た目通り?の「ちゃらんぽらんで、勘違いしやすい男でした」と述懐する。そこで、大きな出会いに恵まれた。現ロッテのヘッドコーチ(2021年度から同2軍監督)の鳥越裕介だ。

鳥越コーチとの出会いで大きく飛躍した森福(写真:TBSテレビ)

森福のルーキーイヤーは、鳥越の指導者デビュー年でもあった。2006年で現役を引退した鳥越は、翌2007年、ソフトバンク2軍の守備走塁コーチに就いた。

誰もが感じる、現役時代の多少なりともの後悔があるとすれば、その前年に引退のつらさを感じていた鳥越は、その後悔を2軍の選手たちに味わわせたくないという使命感を持って指導にあたったはずだ。森福が自身で言う通り、見た目も中身もちゃらんぽらんであったなら、鳥越の指導はより厳しくなったはず。

事実、「簡単に褒めてくださる方ではありませんでしたし、本当に細かいところまで(自分の行動を)見られました」という。今でも覚えているのは「『グラウンドに入った瞬間から、自分がプロだということを意識しろ』という言葉でした」と振り返った。球場に向かうところから「見られているという意識を持つようにしました」と森福。続けて「グラウンド、ウォーミングアップ、キャッチボールにトレーニングまで、そういう意識をすることで、僕のプロとしての姿勢を変えてもらえた」と感謝する。

そういう姿勢を貫くために。森福はさらに「考える時間を増やしました」。プロとしてのありかたを考え、観察もした。鳥越に加え、さらに「いいお手本」が身近にいた。王貞治現球団会長と、当時のスター選手であった川﨑宗則らだ。「僕からすれば、偉大と言っていいような人が、ものすごくファンサービスをしてました。

それを見て、ファンの応援があってこそプロ野球が成り立っているということを覚えました」。そして実践する。技術が高まり、1軍で結果を残す。さらにファンサービスに力を入れ続ける。「応援が年々増え、声を掛けてくれる人が増える。それがうれしくて、また力になりました」。そうして、見た目はスタイリッシュ、その実、中身は決してちゃらんぽらんではない、理想的なプロ野球選手に近づいていった。

恩人たちとの出会いとポジティブ思考が武器

出会いはまだある。プロ入り前、社会人・シダックス時代の監督だった故・野村克也だ。当時の野村の森福評は「秀でたものはない」だった。そんな森福へのアドバイスもいたってシンプル。「原点は外の真っすぐ。いつでもストライクが取れるようにしなさい」だ。徹底的に制球力を「磨きましたよ」。本来持ち合わせていた強気のマウンド度胸に加え、そこに制球力が備わったことで「プロに行けた」と実感を込めた。

ここまで名前を挙げた人たちに限らない。まだまだ、何十人も森福の人生に大きく関わった人物はいる。それぞれの出会いを通じて、姿から学び、言葉を消化して、プロ野球選手としての成功を果たした。そして、引退を決意後は野球に関わり、身の丈に応じての恩返しを目指している。将来的にはやはり「いつかは指導者になりたいという夢はあります」と話す。

ここまで恩人から学んできたこと。そして今年から始めた解説者の仕事を通じて得られる学び。これらの経験が、指導者となっても必ず自らを助けてくれることになるはずだ。

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