プロ引退1年、森福允彦を今も支える2つの武器 ホークス、巨人に在籍し、33歳で戦力外通告
森福には常に、間近でお手本となったり、助言をくれたりという人物がいた。各人から野球人生の節目節目で次のステップ、どうあるべきかを示してもらった。直接のアドバイスのこともあれば、その姿勢や言動を通じて感じ取ることもあったが、いずれの場合もそれらが判断材料となり、森福なりの考えを加味した末に「こうすべき」という決断に至っている。
例えば、2019年の12球団合同トライアウト。2016年にFA権を行使して、新たな活躍の場として選んだ巨人だったが、3年目に戦力外の通告を受けた。2018、2019年の出場機会はほとんどなかったが、400試合以上を投げ、ソフトバンクの日本一にも貢献、日本代表にも選ばれた実績や、左の変則という希少価値は捨てがたい。さらにはその年、ファームでは41試合、39回3分の1を投げ、イニング数を大きく上回る51奪三振、防御率1・60と、まったくもって力が衰えているわけでないことを、証明していた。
まだ33歳だ。普通に考えれば、トライアウト受験は自然な流れと言える。その時点で、社会人や台湾リーグなどからの誘いもあったが、「NPBへのこだわり」を優先させたい思いもあって断っていた。もう一度、チャンスをつかみNPBのマウンドへ上がる手段としてのトライアウト挑戦に見えた。
しかし森福はこのとき、別の目的を持っていた。「もちろんオファーを期待するところはあったんですが」と言いつつも、実は有観客での、このときのトライアウトを「自分の引退試合」と位置付けてもいたのだ。
仮に引退を余儀なくされるとしても、「ある程度1軍で投げていたら」トライアウト挑戦の選択肢はなかったかもしれない。しかし2019年の1軍登板試合数は「7」。この年の6月21日を最後に、1軍で投げる姿をお世話になった人やファンに見せられていなかったことが、心残りだった。
「僕の、最後の試合を見てもらいたい、という気持ち」。これが受験の、最大の理由。野球人生の節目で森福を導いてくれた人たちへの恩返しだ。
結果はよかったが納得まではいかなかった
「最後のマウンド」という思いを秘め、一方でオファーを待ちたいという気持ちもありつつのトライアウトは、打者3人に対し2奪三振、1四球という結果に終わった。プロ野球選手としての手応えを言うなら「結果は良かったと思います。でも内容からすれば、納得とまではいってませんでしたね」というものだった。プロにしかわからないレベルの中で、100パーセントアピールできた、というものではなかった。これにより、森福の中でのオファーへの期待は減じた。
それでも野球選手だ。その時点で向かったマウンドでは、もう一度、選手としてユニホームを着ることは「ない、という気持ちで投げました」と言いながら、トライアウトの後もかなり「迷いましたねえ」と苦笑した。8対2か。9対1か。ほとんど、引退に気持ちは傾いていたのだが、2とか1とかのわずかな心残りが、とても厄介だった。
試したつもりはない。「自分の中では引退と決めたつもりで」森福は父・彰夫さんに打ち明けた。「野球、やめようと思うんだけど」。背中を押してもらいたかったのかもしれない。「お前が決めたんならいいんじゃないか」。そんな答えを期待していた。「それが、父が『やめるな』って言ったんですよ」と、正反対の返事が返ってきたのだ。