子に「いいかげんな親」を公言するのがいい理由 「こうあるべき」という価値観から解き放とう
するとこの価値観が、子どものなかで大きくなり、クローズアップされることになります。自然と子どもも、その部分にこだわるようになるのです。
自分の失敗やだめなところを子どもに投影して接しても、あまり意味はありません。親子と言えど、あなたとお子さんは別の人間で、歩む人生もまったく違うからです。
親はいい加減くらいでちょうどいい
期待を裏切るようで申し訳ないのですが、私は父親として大事にしてきたことはほとんどないと言っていいです。
その大きな理由の1つは、家では教師としての私ではなく、ありのままの自分でいることを妻も息子たちも許してくれたからです。
とくに長男は親子というより相棒というような存在で、数多くの思い出があります。
お風呂に入りながら「2人で母さんを守ろうな」と話したこと、2人で動物園に行ったこと、家庭用カメラで特撮物の撮影の真似事をしたこと。そして4歳下の次男が生まれることを一緒に心待ちにしたこと。
父親としての振る舞いをほとんどしなくてもよかったのは、長男のおかげだと思っています。
同時に私は意図的に、バカな父親の部分も見せるようにしていました。テレビに志村けんが出てきてスイカの早食いをすれば、家族みんなで真似をしたものです。スイカをぐちゃぐちゃにまき散らしながら、早食いをするあれです。口の周りもテーブルも床も汚くなりましたが、そんなことは一切お構いなしです。
おもしろいことを一緒にやり、家族で笑いあえる時間は、子どもたちにとって何より大切な時間だと考えていました。
真面目な話はほとんどせず、だめな自分をさらけ出すこと。そうすることで子どもたちは安心し、親を信頼します。ダメ父親の言い訳をすれば、家庭内に心的に安全な環境をつくり上げていたとも言えるでしょう。
もう1つ、いい加減な親を公言することで、もし子どもが何かに悩んだとしても、「もっと気楽でいいんだ」ということが伝わるのではないかとも考えていました。
人はどうしても「こうでなければならない」という価値観にはまる生き物です。
子どもは成長の段階で必ずそれを意識します。しかし「お父さんはあんなにいい加減なんだから、自分もそんなに深く考えなくていいか」と、子どもの心を軽くすることができるかもしれないと思ったのです。
子どもたちは、さまざまな悩みを抱えて日々を生きています。そのときに固定化された価値観から子どもを解き放ち、視野を広げることが大人の役目です。
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