脅されて、便所の水を飲まされたこともあった。なんとか学校へは通っていたが、かなりつらい日々が続いた。
「みんながドッジボールをしているときとかには、黙々と教室で本を読んでいました。読書はもともと好きでしたけど、それ以外の選択肢もなかったんですね」
輪入道さんの両親は真面目で、ゲームや漫画はあまり買ってくれず、自由にテレビを見ることも許さなかった。
ただ、2人とも読書家で、家の本棚にはズラリとさまざまな本が並んでいた。小さい頃からそれらの本を手に取り、無心に読んだ。そして図書館に通うようになり、日に何冊もの本を読んだ。
「小3ですでに大人向けの本を読んでいました。母が好きだった、山田詠美さんや柴門ふみさんの作品が印象に残っています。もちろん将来のことを考えて読んでいたわけではないのですが、もし読んでいなかったら現在ラッパーでは食べていけてなかったと思います」
小学校の同級生たちと同じ中学校へ進学するのは嫌だった。両親に頼んで、私立の学校を受験させてもらうことにした。
第1希望は、学習院中等科だ。学内に大きな図書館があるのが魅力だった。しかし、残念ながら不合格に終わった。人生で初めて痛烈に挫折感を味わった。
結局、輪入道さんは浦安にある中高一貫校へ進学した。
「やっと抜けれた、やっと終わった、というのが正直な感想でした。人生を振り返ってみて、小学生時代がいちばんの地獄でした」
家から中学校までは小1時間程の距離だった。その途中、両親に進学祝いで買ってもらったMDプレイヤーで音楽を聞いていた。
「将来は物書きになれたらいいな」
ただ最初は音楽に対する熱はそれほどなかった。
「当時は国語が好きで、将来は物書きになれたらいいな、と思ってました。
音楽の授業でも歌うのはあまり得意じゃなかったし、将来自分がミュージシャンになるとはまったく思ってなかったですね」
そんな中学2年のある日、バスケ部の友人から1枚のCDシングルを借りた。
『おはよう日本』(般若)だった。ラップミュージックに強い衝撃を受けた。
「般若さんには心をつかまれました。めちゃくちゃハマりました。すぐにアルバム『根こそぎ』を買いにいきました。親が運転する車でよく流して、家族を無言にさせていたことを覚えています」
小学校よりはずっとマシだったが、それでも中学時代もあまり楽しいとは思わなかった。
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