エスカレーター式に高校に進学すると、高校にほかの中学から入学した生徒がたくさん入ってきた。
教室も4クラスから10クラスに増えた。
スポーツが強い学校だったので、スポーツ推薦で入学してくる同級生も多かった。
「そういうヤツラの話を聞いてるのが単純に面白かったですね。いろんなヤツの、いろいろな価値観を知ることができたのがよかったです。高校時代になってやっと楽しくなってきました。自分の意思で選択して生きている感じがしました」
高校2年になると、クラブ(ディスコ)に通うようになった。両親は
「ちゃんと学校に行け」
と輪入道さんを叱ったが、輪入道さんは反発した。
冬休みのある日、クラブに行くとその日は、大学生のダンスサークルのイベントが開催されていた。そのイベントのMC(進行)を、ラッパーがやっていた。
「はじめてラッパーという存在を生で見ました。おそるおそる話しかけてみるとなんと同い年でした。学校に行かずにラップをやってるヤツでした」
興味がわいて、彼が登壇するイベントに遊びに行った。彼は普段はラッパーをメインにしたイベントに出演していた。
会場にはたくさんのラッパーたちがいた。
「まずラッパーがそんなにたくさんいるってことすら知りませんでした。驚きましたが、しばらく見ていると
『そんなに上手くないな』
と思う人もいました。内心、これだったら、自分でもできるんじゃないかな? と思いました」
ラッパーの輪の中に入っていって、フリースタイルでコミュニケーションを取った。
やっているうちに、ラッパーの人たちから
「すごいなお前!!」
と褒められた。
褒められるのはうれしかった。
「17歳でラッパーになりました。本格的にやろうとは思ってましたけど、ラップで飯を食っていこうとかは全然考えてなかったです」
学業とラップの両立を進めていたが……
最初は、学業とラップを両立させていたが、どんどんラップに熱が入っていった。
出演するイベントは深夜開催のものもあった。出場すると当然翌日は起きられず、学校はサボった。だんだんもう学校は行かなくていいや、という気持ちになっていった。
もちろん両親は
「ラップはやめて学校に行け!!」
と言うし、友達も
「なにやってるんだ。学校に来いよ」
と怒った。
学校側も何度も手を差し伸べ、学校で開催される『学園オリンピック』に参加することで足りない出席日数を相殺するという救済措置を取ってくれた。
「ところが『学園オリンピック』と出場しようとしていた『REPRESENT MC BATTLE』の日程がまるかぶりだったんです。
友達は『バトルはまたあるんだから卒業してからでいいだろ』って言いましたけど、俺は『この大会に出なかったら、後悔する気がする』と思い『学園オリンピック』を蹴って、イベントに出場しました」
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