日本人が「半沢直樹」をDNAレベルで好きな理由 人気ドラマを"倍楽しむ"ための歌舞伎的視点
ほかにも、漫才も戦前までは「お笑い忠臣蔵」「お笑い勧進帳」などのネタが人気だった。寄席芸は、歌舞伎への憧憬、あるいはカリカチュア(風刺)という側面があったのだ。
その系譜を引く当代一流の漫才師が「半沢直樹」をトレースして、ネタにして見せたのだ。この一事からも「半沢直樹」は「現代の歌舞伎」だといえるかもしれない。
なぜ歌舞伎は大声でセリフを言うのか
筆者は20代前半、古典芸能関係の雑誌社を手伝ったのち、上方落語協会に就職した。当時は筆者のような若い者を連れ回す先輩がいた。演芸作家の香川登志緒などはふらっと事務所にやってきて「文楽劇場の招待券あるねんけど、一緒に行こか」などと誘ってくれたものだ。そういう形で勉強をさせてくれたのだ。
歌舞伎も一幕見(一幕だけを短時間・低料金で見る席)によく連れていってもらった。そんな中で、誰に言われたのかは忘れたのだが、強く耳の底に残っている言葉がある。
「君、なんで歌舞伎は、あんなに大声張り上げてセリフを言うか、知ってるか」
返答に詰まっていると「それは、昔のお客は客席でみんな飲み食いしてたからや。女連れの客や、酔っ払いにでも話の筋がわかるように、大声でセリフを言うたのや」。
夏目漱石の最後の随筆「硝子戸の中」には、明治初年、漱石の姉たちが猿若町の芝居(歌舞伎)を観に行く話が出てくる。当時の芝居見物は朝早くに起きて、弁当や酒などを用意して出かけ、1日かけて楽しむ娯楽だった。
裕福な客は「芝居茶屋」で料理をあつらえ、客席(桟敷)でそれを食べたのだ。女たちは役者に夢中になるが、男たちはあぐらをかいて酒を楽しみ、時にはうつらうつらしたり、朋輩と大声で談笑していた。
客席はあたかも宴会場のようになっている。彼らを引き付けるために歌舞伎役者たちは大声を張り上げ、さらには「見得」というポージングをした。
今の劇場のように客席に上品に腰を下ろし、パンフレットを見ながら歌舞伎を「鑑賞する」スタイルは、むしろ本来の姿ではないのだ。
また歌舞伎は、ストーリーを細かく追わなくても筋書きがわかるようにできている。登場人物は、出てきただけで「正義の味方」か「悪者」かなどが、すぐにわかる。だから酒が回って途中で寝込んでしまっても、用足しに中座しても、途中からでも筋書きがわかるのだ。
「テレビ桟敷」という言葉があるように、「半沢直樹」も、視聴する人は勝手気ままにテレビを見ている。うちの妻のようにお菓子を横に置いて夢中になっている人もいれば、缶ビールをプシュッと開けてすすりながら見る人もいる。私のように、野球のナイターが気になってときどきチャンネルを変えながら見る人もいる。それでもストーリーがだいたいわかるのだ。
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