今の「NHK」は公共的役割を果たしているのか 公共性を芸術と同じ観点から分析してみた

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ある分野への公費支出が正当化されるか否かを考える理論的根拠が、公共経済学です。芸術文化への公費支出についてもすでに研究がなされており、ボーモル(W.Baumol)とボーエン(W.Bowen)による1960年代の研究が嚆矢(こうし)でした。

学者の最大公約数的な理解として、文化的な財・サービスは「準公共財」であるとされています。私的財と公共財の両方の性質を抱えた準公共財は、「市場の失敗」によって最適な資源配分が実現されにくい(社会に不都合が生じる)ことがあるからです。

芸術文化は純粋私的財ではないため、最適な社会的供給のためには公的支援の必要性が正当化されると同時に、社会的な判断をも要求される。「表現の自由があるから、どのような内容であれ公費支出を受けられる」という話ではないのです。

国民の納得・了解があるかどうか

例えば国公立大学に公費投入が許されているのは、「大学で価値ある教育が行われている」と国民が見なしていることが前提です。国民の納得・了解が得られない状況に陥れば、国公立大学であろうと民営化され、公費投入がなくなることもありえます。あくまでも「国民の納得・了解があるかどうか」がポイントなのです。

すべての公費支出には議会の承認(民主主義のプロセス)が必要であり、そのためには国民の納得・了解が必要になる。芸術祭への支出においても例外ではありません。こうした公費の大原則について、検討委員会で議論された形跡はなく、報告書も「公費支出は当然」という結論ありきの立場で書かれている、ということです。

放送についても、同じことがいえます。「準公共財」にあたるNHKが「公共放送」の名にどれほど固執したとしても、国民の一部にしか恩恵をもたらさないメディアであれば、受信料というかたちで公費を支出する理由はありません。多くの国民が賛同し、広く便益を与えることが、真に「公共」の名に値する放送です。

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