先日、とある展覧会の案内が届きました。
仕事柄、“ファッション”や“モード”という文字が入った展覧会に出向くことも多いのですが、そんな中で2年ほど前に行った、原美術館の杉本博司氏による「ハダカから被服へ」、という展覧会がとても印象に残っています。テーマは、「なぜ私たち人間は服を着るのだろう?」ということについて考えるもので、裸の猿人から現代人のモードまでの流れが展示されていました。
日頃、デザインやディテールなど、表面的な部分についてあれこれ述べることは多いのですが、もっと深くて本質的な問い、“服を着ることの意義”について考える、いいきっかけになりました。
さて、前回、ZARAやH&Mといったブランドが成功した理由として、一部の高級ブランドのトレンドアイテムをコピーし、安価で提供しているというお話をしました。また、そのビジネスの根底には、高級ブランドへのあこがれや羨望という目には見えない感情や欲望がある、ということもお伝えしました。
そこで、いつものカジュアルなインサイダースタイルはちょっとお休みして、今回は少しアカデミックなアプローチで、”高級ブランドの服を着る”ということがどういうことなのか、考えてみたいと思います。今度こそ、本当に今までの中でいちばん堅苦しいかもしれません。そして、これが読者の皆さんにとって、服を着ることについて考える何かのきっかけになれば幸いです。
“服”が持つ意味の遍歴
前出の展覧会の中で、強く記憶に残ったのは、そもそも、被服の始まりはイブ(アダムとイブ)が、下半身に着けたいちじくの葉で、“性の隠蔽(意図的なコントロール)”によるものからスタートした、ということでした。
つまり、もともと布や“服”(らしきもの)に記号的な意味はなく、どちらかというと、体を隠したり、守ったりする実用的な意味合いがほとんどでした。
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