1980年代から世界のファッションを牽引してきたデザイナー、山本耀司さん(Yohji Yamamoto)と川久保玲さん(Comme des Garçons)。世界のあらゆるイノベーターがそうであるように、既存の概念や伝統を否定し、新たな価値観を創造した。そして、そのクリエーションは現在でもグローバルに高く評価されている。
彼らのパリデビューから30年以上の月日が経ち、ファッションを取り巻く環境は激変した。そして、その後もモード界は多くのデザイナーやブランドを輩出したが、いまだかつて、彼らと同じトーンで語られる日本のデザイナーやブランドは登場していない。いったい、どうしてなのだろうか。最終回の今回は、40年にわたりモード界を見守り続けてきたフリージャーナリストの西谷真理子さんに「なぜヨウジやギャルソンがそこまで成功したのか?」「第二のヨウジやギャルソンは生まれるか?」について伺った。
成功例としての三宅一生氏の存在
――西谷さんは、ヨウジやギャルソンが成功した理由をどのようにお考えでしょうか?
彼らに先行した成功例として、Issey Miyakeの三宅一生さんがいました。この“一生さんがいた”という意味がけっこう大きい、と私は思っています。一生さんは、多摩美術大学の学生時代に、世界デザイン会議で『どうして衣服デザインの分野が含まれないのか』と直訴したり、東レのカレンダーに服のデザインを提供したり、学生の頃から才能と行動力を発揮していました。
そして、1970年代の一生さんの存在は、突出していました。とりわけインターナショナルな匂いがするというか。60年代にはパリでオートクチュールを学び、70年代の初めにニューヨークコレクションにいち早く参加したり、アフリカ系モデルばかりを使ったショー(三宅一生と12人の黒い女たち)を行ったり、デザインもビジネスの動きも非常にダイナミックでした。そういう一生さんのような存在があったことが、デザイナーのあり方を考えるうえで、ひとつの見本になったと思います。
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