――確かに、そういう規模感のネットワークを考えると、今の盛り上がり方は、もう少し友達とか仲間うちで盛り上がる感覚のほうが近いですね。
今の若い人たちは、友達とか仲間うちのサポートで終わりがちなのが残念ですね。周りを巻き込むには、デザイナー本人がはっきりした意見を持っていて、また尊敬されるに足るものを備えていることも大事です。1970~80年代に巻き込む力があったというのは、それだけ大きな目標があったとも言えるのです。
耀司さん、川久保さんの2人には、「パリに行くからには成功させよう」だけでなく、成功というのはいったいどういうことなのか、ということが見えていたと思います。また、「こういうふうにはなりたくない」というイメージが強くあったのではないでしょうか。つまり、こうなりたいと同時に、こうなりたくない、ということがはっきりしていたと思います。
はっきりとした強い意志
1970~80年代に登場した日本のデザイナーたちは、「ちゃんと儲けよう、ブランドを大きくして、成功させよう」という気持ちがありました。そういう、自分の中にマグマがある人、中にエキセントリックなものを秘めつつ、現実的にビジネスに向かえる人が成功しました。
その後、バブル崩壊以後、特に2000年以降、(すべての方ではありませんが)デザイナーの価値観は、「おカネのために自分の信念を曲げたくない」、あるいは、「小さくてもいいから、納得するものをちゃんと作れればいい、不必要にどんどん大きくしたくないし、ポルシェも別荘もいらない」というふうに変わっていきました。
――現在のファッション業界は、巨大資本の利益追及型のビジネスが市場を支配し、高級ブランドかファストファッションかという二極化が進み、同じようなもの(コピー)が市場にあふれています。“ヨウジ”や“ギャルソン”が生まれた時代とは、まったく異なった時代ですが、その変遷を実際にご覧になられていかがですか。
日本のファッション業界全体に、若い才能を育てようという気持ちがなくなってしまったのかもしれませんね。以前は、繊維会社や商社などが資金的に余裕があり、たとえば一生さんも初期の頃は東レの支援を受けたりしていたと思います。けれども今は、アパレル、繊維、小売り、商社など、どこの会社も余裕がなくなり、早急に結果を出す、しかも数字で出す、ということにとらわれているところが圧倒的です。
でも、才能を育てるというのは、時間もかかりますし、リスクも負わなければいけない。そういうリスクを負ってまで、自分が見込んだ人に投資する、という風潮はすっかり影を潜めました。
――確かにそうですね。それに加え、若い世代の価値観や、消費者の低価格志向など、マーケットが変化していることは否めませんが、今後“ヨウジ ヤマモト”や“コム デ ギャルソン”のようにクリエーションとビジネスを両立させ、かつ成功するブランドは生まれるのでしょうか。
才能あるデザイナーがいて、さまざまな分野の人をうまく巻き込めば、そこに化学反応が生まれます。そして、さらに時代の後押しがあれば、ブランドの成功はあると思います。これからは、ファッションという枠や国境を跳び越して、どう共感の輪を広げるかが重要になってくると思います。
注:Yohji Yamamotoは2009年に民事再生法の適用を申請していますが、山本耀司氏は現在もブランドのクリエーションを続けていますので、ビジネスが継続しているという意味において、ここでは成功例としています。
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