福井信英
僕は現在、ジョブウェブという会社で働いている。新卒で入社した会社に3年間勤めた後、「新しいタイプの学びの機会を提供したい」という思いから、学生の就職活動と企業の採用活動の支援を仕事としているジョブウェブに転職した。
僕のジョブウェブとの出会いは学生時代に遡る。当時、マクロ経済学を中心に学んでいた僕は、その学問の奥深さに惹かれる一方で、「現実のビジネス」を知る必要を強く感じていた。そこで、偶然先輩から紹介されたジョブウェブでインターンシップ生として働くことにしたのだ。
思えば、その頃から「学校」と「現実社会」の接点となる「学び方」を探し続けていたように思う。
このコラムでは、まだ見ぬ「学生時代の学び方」について、様々な角度から考察し、意見を述べていきたいと思う。本来、「学ぶ」という行為はこの上なく、楽しく、ワクワクするものであるはずだ。その学ぶ楽しさ、喜びを少しでも伝えることができるコラムにできたら、と考えている。
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良くも悪くも、昔に比べ、職業選択の幅は格段に広がった。しかし、そのぶん、「自分は何をしたいのか」「何に向いているのか」悩む学生も年々多くなっているように感じる。先行き不透明な時代になってしまったが故に、「有名企業に入ればもう将来は安泰だ」と安心できなくなったことにも原因がある。職業選びだけでなく、企業選びも年々難しくなっているのだ。
本来であれば、自らの将来のためにおおいに悩み、語り、様々な機会を通じて学び、そして自分の使命を見いだしていくために、「モラトリアム(=社会に出るために必要な猶予期間)」とよばれる学生時代があったはずではなかったか。
ただ、この貴重なモラトリアム期間を無為に過ごし、いざ就職しなければならない、という段階になって、「やりたいことが見つからない」と嘆く学生が多くなっているように感じる。
学び方に迷い、無為にモラトリアムを過ごすようになった。
僕たちはいつの間にか、どんどん大人になるのが遅くなっている。
そんな危機感を感じる。
早く大人になれば良い、というものでもないだろうが、戦国時代には10代で一国を担わなければいけなくなった大名や武将がいたじゃないか、と考えてしまう。明治維新の頃には20代の若者が国を想い、国を変える動きをし、そして実際に国を変えたという歴史がある。僕たちの祖父母や父母も、僕らが学生時代を謳歌している頃には、既に一家の大黒柱として、あるいは子を持つ親として働いていたのではなかろうか。学生時代の僕とは圧倒的に「覚悟」が違うし、正直、カッコいいと思う。
思うに、精神や思想の成熟は、年齢により得られるものではなく、積み重ねた経験と、与えられた責任の大きさによって得られるものではなかろうか。大きな責任を背負い、プレッシャーに立ち向かい、成功や失敗を積み重ねることにより、人は成長する。
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