一方、兼好法師はつれづれなる時間に対して真逆の考え方を示している。
特にすることなくて、プー太郎のような暮らしをしながら一日中机に向かって、心の中に浮かんでは消えるとりとめのないことを書き連ねると、狂ったような気持ちになるのだ。
こちらは『徒然草』の出だしに当たる記述になっているが、実は最初に書かれたものではないらしく、最後、もしくはある程度原稿がまとまったときに書き添えられたものだとする説が有力。文は短くてテンポもよく、完結に纏められているこの部分は作品全体の性格を見事に表し、冒頭としてバッチリだ。
社交的な姐さんと、内向的な世捨て人
ラテン語に「Otium」という単語がある。「自由な時間、暇な時間」という意味で、この対義語はNegotium、つまり「生きるために必要な営み、商売」である。Otiumはただ働いていない時間だけではなく、自分を磨き、勉強し、よりよい人間になるために必要な時間だと考えられ、哲学の道を極めたい知識人にとって必要不可欠だと思われた。兼好法師の「つれづれなる時間」もまた、そのイメージに近いかもしれない。
ソーシャルライズを渇望する清姐さんと違って、兼好法師は1人になれる時間、自由に妄想ができる時間、閑散とした雰囲気に包まれることを何よりも望んでいた。社交的な姐さんと、内向的な世捨て人の感覚の違いは、それぞれの作者が生きた時代とも強く関係している。
大好きな定子様は苦労が多かったし、清少納言自身も山あり谷ありの人生ではあったものの、摂関政治が盛んに行われた時代なだけに、派手な陰謀も、思いがけないクーデターも、失脚も抜擢も目まぐるしく行われており、活気の溢れる、決して飽きることのない毎日だったに違いない。一方、鎌倉末期は院政制度が惰力で続いていたような感じで、出世に憧れるような環境でもなかった。
兼好法師の本名は「卜部兼好(うらべかねよし)だったそうで、出家の後も読み方だけを変えて俗名をそのまま使い続けていた。出家の理由はろいろな推測があるが、具体的なきっかけはわからない。妻子を持たず、気楽な生き方が最も性に合っていたとも思われ、浮ついた噂もほとんどない。それどころか、女性をディスっている記述が結構あり、今であれば放送禁止に当たる内容も散見している。
人我の相深く、貪欲甚だしく、ものの理を知らず、ただ迷ひの方に心も早く移り、詞も巧みに、苦しからぬことをも問ふ時は言はず、用意あるかと見れば、また浅ましきことまで問はず語りに言ひ出だす。深くたばかり飾れることは、男の智慧にも勝りたるかと思へば、そのこと後より顕るるを知らず。素直ならずして、つたなきものは女なり。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら