もし「清少納言」が「兼好法師」と語り合ったら 同じテーマでも2人はこんなに考え方が違う

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ランクはそれほど高くなかったにせよ、清少納言は皇室大好きな貴族女子。それにひきかえて、兼好法師は30代頃に早々と政治に見切りを付けて、世捨て人となる。また、清少納言は自らのセンスを誇り、「をかし」の美学に人生を捧げたが、兼好法師は「無常観」を求めつつも、浮世を完全に捨てきれない、自慢話に走りがちな寂しがり屋さん。

こんなに遠く離れた2人だが、それぞれの鋭い目線は時おり同じものに向けられ、時空を超えた次元で絡み合い、響きあい、新たな会話を織りなしている。

ベタな話題は出さない清少納言

2人が言葉を交わすとしたら、何を言い合うのだろうと想像してみると、真っ先に思い浮かぶのは、四季という鉄板ネタである。

春は、曙。やうやう白くなりゆく、山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる。

いうまでもなく、これは『枕草子』のあまりに有名な冒頭であり、超訳をつける必要もないだろう。春の象徴と言えば桜の花だが、清少納言はそれに言及していない。読み進めると、夏のホトトギス、秋の月や冬の雪など、ベタな話題はひとつも出てこない。

つまり、姐さんは古くから代表的だと言われてきた自然現象を意識的に避け、新たに四季の美しさを自己流に定義づけようとしている。そして、読者はその意外なイメージを次々と突き付けられて、変わりゆく色、仄かな香り、繊細な音を脳裏に思い浮かべながら、すこしずつ「をかし」の世界の扉を開けていく。

それに対する兼好法師の答酬はこちら。

折節の移り変はるこそ、ものごとにあはれなれ。
もののあはれは秋こそ勝れと人ごとに言ふめれど、それもさるものにて、いま一際心も浮き立つものは、春の景色にこそあめれ。鳥の声なども、殊の外に春めきて、のどやかなる日影に墻根の草萌え出づるころより、やや春深く霞み渡りて、花もやうやう景色立つほどこそあれ、折しも雨風うち続きて、心慌たたしく散り過ぎぬ。
【イザ流圧倒的意訳】
季節の移り変わりほど、心にしみるものはない。秋は一番味わい深い時期だとよく言われている。それはそれでごもっともだが、より一層心をウキウキさせるのは春だろう。まず、春らしい鳥の声が聞こえてくるでしょう?それと、のどかな光を浴びて、垣根の草の芽が生えてくる。次第に本格的な春になって、霞がそこら中に立ち込めて、桜の花がいよいよ咲き出す。ちょうどその時に雨が降る日や風が吹く日が続き、花が慌ただしく散ってしまう。
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