もし「清少納言」が「兼好法師」と語り合ったら 同じテーマでも2人はこんなに考え方が違う

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兼好法師もなかなかの考察力を披露してみせる。清少納言の引用文に比べると、文章は論理的に整えられ、流れてゆく時間をしっかりと感じさせてくれる。自然の目覚めは鳥の声、膨らむ蕾と散ってしまう桜の花という一連の風景を通してゆったりと表現されている。

清姐さんの奇想天外な発想とは違うが、1つひとつの様子が丁寧に描かれて、オーソドックスな日本の春のリズムがそこにある。桜も綺麗に映えている。

作者は清少納言の作品を強く意識し、「もう四季と言えば『枕草子』と『源氏物語』の中ですでに語り尽くされているからね」と礼儀正しいクレジットもしているが、何百年後のよくわからないオッサンに真似をされていると知っていたら、清姐さんはどんな気持ちだったろうか。

つれづれなるものへの意見は正反対

つれづれなるものという話題をめぐっては、2人の随筆家の意見がさらに別れる。まずは、清姐さん。

つれづれなるもの 所去りたる物忌み。馬下りぬ双六。除目に司得ぬ人の家。雨うち降りたるは、まいていみじうつれづれなり。
【イザ流圧倒的意訳】
することがなくて暇な感じ 自分の家じゃなくて、他所に移ってやる物忌みとか。駒が進まないすごろく。除目に職を得られなかった人の家。雨が降っているのは、なおさら所在ないよね。

「物忌み」は、災いから免れるため、一定の期間において行動や食事を慎み、家にこもることを指している。現代人には馴染みのない習慣だが、平安の貴族の間ではポピュラーであり、『源氏物語』の登場人物もよくそれで足止めとなっている。「除目」というのは大臣以外の諸官職を任命する儀式。本来であれば緊張感や高揚感のある場面で、退屈とは無縁なはずだ。

物忌みも、うまく行かなかった除目も、雨が降る日も外の世界とのつながりが絶たれている状態を示唆している。女性の行動がかなり制限されたとはいえ、その中で活発に活躍をしていた清姐さんが「つれづれなる時間」に対してじれったさを感じていたのにはうなずける。

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