山下俊彦「パナソニックの危機」を予見した男 日本電機産業が圧倒的NO.1から凋落した真因
ジャパン・アズ・ナンバーワンの時代
こんなはずではなかった。
日本経済の、いや、日本のエレクトロニクス産業のこの20年、30年の来し方を思ってみる。ふと歌が口をついて出る。「シャボン玉」の歌だ。
エレクトロニクス産業は大きなシャボン玉だった。1980年代は家電が先導した。カラーテレビはもちろん、最大のヒット商品となったビデオ(VTR)やさまざまな音響機器に至るまで、日本製品が世界を席巻していた。半導体メモリーも世界トップだった。誰もが「電子立国ニッポン」を疑わなかった。
シャボン玉は屋根まで飛んだ。そして「こわれて」しまった。
日本エレクトロニクス産業の生産額がピークをつけたのは2000年、26兆円だった。それが2018年、11.6兆円に転げ落ちている。生産額の半分以上が「消え」てしまった。
品目別に見てみると、凋落はさらに悲惨なものとなる。ピーク時には1兆円を突破した薄型テレビは2018年、たった494億円になってしまった。2002年に1.4兆円の生産額だった携帯電話は17分の1、822億円に縮んでいる。
ちなみに、お隣、韓国のサムスン電子は23兆円の売り上げを上げている。日本エレクトロニクス産業全体の生産額が今や、サムスン1社のようやく半分でしかない。こんなはずではなかった。
どこでどうなってしまったのか。
振り返れば、生産額がピークをつけた2000年の、そのまた10年前が転換点だった。日本エレクトロニクス産業は1990年、1991年まで一本調子の上昇カーブを描き、生産額は24兆円、25兆円となる。翌年、反落し、そこから上下に振れるジグザグ運動に移行した。
1990年とはどういう年だったか。日本はバブルの極みの頂点にいた。日本の製造業は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と絶賛されていた。株価も地価も暴騰した。日本中が舞い上がり、おごりが全土を覆い尽くした。
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