山下俊彦「パナソニックの危機」を予見した男 日本電機産業が圧倒的NO.1から凋落した真因
山下にとっては、BS(貸借対照表)もPL(損益計算書)も、会社の真正の価値を表すものではなかった。社長になる前のエアコン事業部長時代から、山下は日々の思いを大学ノートにつづっていた。こう書いている。「(BSやPLは)いずれも過去の業績の表示であって、会社の未来価値を示すものではない」「未来は永久に未知の世界である。会社の将来性に対してアテになるのは資本金や資産価値ではない。人間だけだ」。
見つめていたのは、徹頭徹尾、人だった。一人ひとりの人だった。個人は会社のためにあるのではない。会社が個人のためにある。一人ひとりの視点を貫くことが、畢竟(ひっきょう)、会社そのものを最も強くする。その「パラドックス」を山下は知っていた。
いま、山下が輝くのは、はっきり言ってしまえば、日本の経営者たちがアングロサクソン流の思考様式にからめ取られ、衰弱しきっているからだ。1990年代以降、日本の企業社会では非正規雇用が急速に拡大し、現在、その割合は4割近くに達した。日本国中で人はただのコストになった。
結果、格差と不平等、労働環境の悪化がもたらされ、近年は政府が正規雇用の拡大や賃上げ、「働き方改革」を企業に要請する事態となっている。泉下の山下は呆然としているだろう。政府に言われてやることではない、職場の一人ひとりの幸福を考えるのは、経営者の唯一無二の仕事だろうに、と。
ありえたかもしれない日本
今から40年前、しかも、「神さま」の教義一色に染め上げられていた会社で、山下俊彦は奇跡のように、はるか未来を先取る経営を確立しようとしていた。
幸之助の経営は「日本的経営」の典型とされた。山下は「日本的経営じゃないんだよ。いい経営と悪い経営があるだけ」と言った。山下が目指したのは、世界と未来に通じる、新しい普遍的な経営だった。
こんなはずではなかった――。もしも「山下俊彦」が継承され、発展させられていたなら、山下が訴え続けた改革が実現していたら、いまとは違う「もう1つの日本」が生まれていたかもしれない。
パナソニックに社名を変えた松下電器は2018年、創業100周年を迎えた。その6年前、山下は永眠した。日本の産業社会の変遷を、山下はどんな思いで見つめていたのだろうか。
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