山下俊彦「パナソニックの危機」を予見した男 日本電機産業が圧倒的NO.1から凋落した真因

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エレクトロニクス産業も例外ではない。変わらなければならないそのときに、自足し、内向きになり、「変わろう」とする意思を失った。そこから凋落と敗北が準備された。絶頂期が「危機の時」だった。

あたかも、その「危機の時」の到来を予感していたように、激しく、勇敢に変わろうとしたリーダーがいた。山下俊彦である。

1977年から1986年まで、日本最大の家電メーカー、松下電器産業(現・パナソニック)の社長を務めた。山下は言った。「ほろびゆくものの最大の原因はおごりです」。松下電器は強大な「家電王国」だった。

山下は、大きく舵を切った。もう1つのシャボン玉、産業エレクトロニクスを最大速力で育て上げる。情報機器を強化し、OA(オフィスオートメーション)、FA(ファクトリーオートメーション)へ展開し、エレクトロニクスの中核、半導体を圧倒的に拡大する。

「脱家電」「脱国内」を掲げた大改革運動

「家電王国」から総合エレクトロニクス企業へ。山下は「大転換」を全社的な「運動」にした。名付けて「ACTIONー61(A61)」。1986(昭和61)年までの3年半で成果を出す。明確に期限を切った。

家電がしっかり稼いでいる。なぜ、「転換」のリスクを冒すのか。社内は不安と疑問でいっぱいだった。「企業は生きている。活力のある企業は栄え、活力を失った企業は衰える。一度守りの姿勢になった企業は衰退の一途をたどるのみ」。そう山下は言い切った。

「A61」は「グローバル化戦略」でもあった。海外生産を拡大し、先端技術をどんどん海外に移転する。そうすることによって本国=日本をつねに次世代技術を創り出す、いや、創り出さねばならない立場に追い込んでいく。「一度守りの姿勢になった企業は衰退の一途をたどるのみ」なのだから。

山下は「危機の時」の4年前に退任する。が、松下電器の存在感は圧倒的だった。産業全体の方向ベクトルを設定する力を持っていた。もし、山下の「変わる」勇気が松下電器でしっかり継承され、産業全域に広がっていたならば、色とりどりの新しいシャボン玉が大きく膨らんだに違いない。エレクトロニクス産業は今とは違う姿になっていただろう。しかしそうはならなかった。

その後の日本エレクトロニクス産業の「敗北」は、山下の「変わる」勇気がいかに希有な経営資源か指し示しているようである。

奇跡のような経営者だった。社長になるはずのない男だった。取締役会の序列は26人中、下から2番目。そこからいきなり社長になった。松下電器の初代社長は創業者の松下幸之助、2代目社長は幸之助の女婿の松下正治だ。3代目社長の山下は、松下家とは縁もゆかりもない。戦前の工業学校を卒業した山下は学歴もない。

決定的に「なかった」のが権力欲求だ。自らを顕示したい。出世街道を駆け上がり、権力を握りたい。握った権力は放したくない。ビジネスパーソンの誰もが抱く欲求のかけらもなかった。

風のようにさらさらしていた。社長を9年務めると、自ら相談役に就くことを選び、すっと権力から離れた。社長交代の記者会見もさらさらしていた。

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