精神を病んでしまった経済学を救う術はあるか もしユングとフロイトが経済学の魂を診たら
神話は容易に理解が可能で、登場人物が想像の産物にすぎないにもかかわらず、のちに出てくる宗教や物理や数学と同じほど力をもった。そして神話には、ほかと比べて際立った特徴が1つある。それは、神話が矛盾をはらんでいることだ。
一見、神話はとんでもなく単純に見える。勇者と神々が争い、戦闘を繰り広げ、子どもが生まれ、人が死んだり、殺されたり、追放されたり、復讐に燃えた亡霊に追い回されたりする。だがこの単純な物語に解釈を試みると、それは奇妙に今日的に、多層的に、そして普遍的になる。
こうした物語の魅力は、心をとらえる教訓が書かれていることと、人間の行動を的確に把握していることだ。神話はまた、経済についても多くを語っている。例えば所有者と所有物との関係。人がものを手に入れ、それを守るために何を与えなければならないかという問題。征服や略奪や防御、権力と敗北、そして富や宝がどんな力を持つかという問題だ。
神話のエピソードの中には非常に単純で理解しやすいものもある。例えば、触れたものすべてが黄金になるよう望んだ結果、飢え死にしかけるミダス王の話だ。一方で、いく度も読み直さなければいけないものもある。その1つが僭主ポリュクラテスを襲った幸運についての物語だ。
これらの、そしてその他多数の神話は、経済の本来の姿を解明するうえで助けになる。そのためには、経済学がまとっている合理性と数学でできたマントをはぎ取る必要がある。経済学は一見、すばらしい論理と、合理的に選択された行動と、ブラック=ショールズ方程式の算出可能性のみで形成されているように見える。だが、それは人間が被せた魅惑の上着のおかげにすぎない。
フロイトとユングの知識で経済学を診断する
本書の主張はこうだ。経済学は最高にすばらしい学問になりうる。だがそのためには、片足で立っていては(つまり数学のみに依拠していては)いけない。古い時代の賢明な経済学者らは、未来の経済学において精神分析が重要な位置を占めるだろうと予言していた。それは、精神分析が非合理的なものを扱う唯一の科学だからだ。
精神分析という学問は伝統的に、神話に積極的に取り組み、神話を活用してきた。だから、経済畑から来た私たち著者も、精神分析と神話の両方に出会うことになった。つまり、精神分析というメソッドのために、神話という道具を用いたわけだ。その際、2人の偉大な学者に多くを負った。
2人は生前敵対していたが、こうした象徴を読み解いてくれた点で、私たちにとってはどちらも同じほど、計り知れない価値をもっている。1人はジークムント・フロイト。もう1人は、カール・グスタフ・ユングだ。フロイトは、自身の精神病理学を説明したり整理したりするのに神話を用いた。ユングは神話にさらに大きな意義を認め、人間の経験の原型や集団的無意識を神話の中に発見した。