精神を病んでしまった経済学を救う術はあるか もしユングとフロイトが経済学の魂を診たら
経済学の精神病質が、軽い症状ならば、笑ってすますこともできる。だが、重大なものもいくつかある。明らかに認められるのは一種の双極性障害、つまりは躁うつ病であり、その結果、躁うつの両極においてひどい混乱が生じている。
哲学的・倫理的な視点から見ると、現代の経済学はエゴイズムという全能の力を信じ、まるでエゴイズムこそが地球を導く力であるかのように、エゴイズムの「ゴスペル」を説いている(ゴスペルは本来「よい知らせ(福音)」を意味する)。
経済学の身勝手さ、傲慢さと帝国主義
経済学的な思考は個人的功利主義の子孫であり、ほかのすべての価値を冷笑とともに非難する。経済学の身勝手さは、次の面でも表れている。何か問題が起きるたび、国家や社会など、いつもは蔑んでいる父親のもとにすぐに身を潜めてしまうことだ。記憶に新しいところでは、2008年の経済危機の際にそれが起きた。
経済学はまたあくまで、相手について学ぶためではなく、相手を支配するために、ほかの分野とのつながりを築こうとする(これがいわゆる経済学の帝国主義だ。一部の経済学者はそれを誇りにすらしている)。
経済学はそもそも社会から生まれたものなのに、社会から独立しようともがきあがいている。だからこそ経済学は、人文科学として位置づけられるのを嫌い、自然科学に近い存在を志向する。こうして経済学は物理学からも学び、ほかの社会科学の分野にもそれと同じことを期待する。
私たち著者はこの本の中で(そうした問いがもし許されるのなら)こんな問いかけをしてみたい。現代の経済学および全体としての経済システムにおいて、精神病質と診断されうるような側面はあるのだろうか? あるとしたら、それはどんなものなのだろう? 経済学は社会の病をどの程度明らかにできるのだろうか? 経済学は社会のどんな病を強め、どんな病を弱めるのだろうか?
経済の精神分析の深い部分まで潜るために、本書では神話の助けを借りた。神話とは、社会を映し出す鏡のようなものだ。とても古くてくもった鏡だし、ところどころヒビが入っていたりもするが、それは現代の私たちの姿をそのまま映し出している。