知られざる東京「ホテル御三家」の底力 ニューオータニに見る、和製ホテルの進む道

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オークラさんに関しては、このホテルが誕生するときに、お世話になっています。(創業家の)大谷家は大谷重工という製鉄会社で、当時は満州まで行って神戸製鋼より大きいぐらいでしたが、終戦後は満州を没収され、合同製鉄になった。

創業者の大谷米太郎は富山出身で、おにぎり3つと15銭だけ持って東京へ出てきて、相撲部屋へ入って幕下七枚目までいった立志伝中の人です。経営者の嗅覚で日本にホテルが必要だし伸びると感じたが、ノウハウがわからない。

そのときに教えを請いにうかがったのが、オークラの野田岩次郎氏(初代社長)です。だから両ホテルに対しては非常に感謝しているということです。

海外から来た人が安心できるハードと食事、さらに語学など最低限の国際性と西洋式のサービスを提供するために、シェラトンともタイアップしてノウハウを吸収しました。

急拡大とともに出てきた負の部分への対処

2007年の改修工事で一新した11階、12階の「エグゼクティブハウス 禅」のジュニアスイート

――その後、施設も充実してきましたね。

開業から10年後には、「ガーデンタワー」を建てました。日本の高度成長の波に乗って、東洋でいちばん大きな規模の2057室のホテルになった。それだけのホテルをオペレーションできるまでのノウハウを蓄積してきたわけです。

1981年には当時日本最大の700坪の宴会場「鶴の間」を作りました。その頃から、規模の拡大の負の部分も意識するようになりました。快適なもの、おいしい食事を提供する半面で、たとえば水や電気を大量に消費するわけです。

空調をすれば排熱が出るし、料理を作れば食品残渣や厨房雑排水などの産業廃棄物も出る。お客様の快適性という今までのラグジュアリーホテルの基準の中にもうひとつ、環境への配慮や負荷の低減が必要だと考え始めました。

――なるほど。

ちょうどバブルのピークの91年に「ガーデンコート」というオフィス棟ができました。建坪が29万平方メートルで、当時の年間エネルギー、電気やガスや水道のコストが21億円ぐらいあったわけです。そこから地球環境に配慮してエネルギーを使う量を減らす、使ったものをリサイクルして産業廃棄物も減らす努力をしました。

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