知られざる東京「ホテル御三家」の底力 ニューオータニに見る、和製ホテルの進む道

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――レストランは何店舗あるのですか?

38店です。

ホテル内では珍しい焼鳥屋「伊勢廣」

――38店! もうなんか、ショッピングモールもびっくりって感じですね。

物販店だけで200店あります。

今は核家族化しているし、みなさんも集合住宅にお住まいだから、家族が全員集まるのは難しい。一方、ホテルはバリアフリーですから、おじいちゃん、おばあちゃんが孫と会いたいときには最高の場所なのです。

ホテルは最初のスタートは、外国人や富裕層など限られた人が使っていた場所でしたが、今は誰でも使う。だからお客様を区別しない、誰でも使えるようなホテルにしていかなければならないと思っています。

帝国、オークラへの深い感謝

――もともとは東京オリンピックのために作られたのですよね。

はい。1964年に東京オリンピック開催に際して、海外から来られる外国人の方の宿泊施設として誕生しました。敗戦で荒廃した日本と東京の街がこれだけ復興したことを、海外の方にぜひ知っていただくことが目的でした。

当時は決定から開催まで5~6年しかなく、宿泊施設も足りなかった。日本の国自体、世界地図のどこにあるかわからないような時代に、安全で安心して泊まっていただける西洋スタイルのサービス、それも世界標準に達したホテルを作ることが国家的な命題でした。

着工からわずか18カ月、通常の半分の期間でホテルが出来上がった。超法規的な措置で昼夜兼行で五輪に間に合わせましたが、当初は23階建ての設計が17階になりました。日本の超高層ビルの建築基準法ができたのも、このホテルからです。

――帝国ホテル、オークラと並び「御三家」と称されますが、割と当初からそうだったのですか。

御三家という言葉が生まれたのは、ひとつは迎賓館のサービスを3者で持ち回りしていたことがあったと思います。外務省が国公賓を迎えるときの宿泊施設として3者が指定されたのです。

帝国さんは120年を超える歴史で明治時代からある。われわれはやっと50年で半分以下の歴史ですから、われわれが勉強させていただいて育ってきている部分があり、大きな目標です。

現実問題、売り上げでも利益でも帝国さんに及ばないわけで、グローバルな知名度で言っても、われわれの最大の目標は帝国ホテルです。

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