国民の私権を制限する緊急事態宣言を可能とする新型インフルエンザ等対策特別措置法(「新型インフル特措法」)の改正案が成立し、3月14日に施行された。
安倍晋三首相は記者会見のなかで「宣言を出すような状態ではない」と慎重な姿勢を示したが、そもそも新型インフル特措法は、国内で最大64万人もの人が死亡するパンデミックを想定したものであることをご存じだろうか。
当時「そんな被害をもたらす新型インフルエンザは出現しない」と疑問を呈した専門家もいたが、病原性の高い未知のウイルスを想定して「等」の文字を挿入することで折り合いがついたという。その成立経過をたどると、緊急事態を宣言する正統性さえ危うくなってくる。
新型インフル特措法が成立した2012年、北海道大学人獣共通感染症リサーチセンター統括の喜田宏特任教授のもとに、内閣府の幹部らが訪ねてきた。新型インフルエンザ対策の計画や措置を定める特措法について意見を聞かせてほしいという依頼だった。喜田氏は8時間にわたってウイルス学の立場から説明したうえで、「特措法は不要だ」と伝えたという。
喜田氏が立法に反対したのは、当時の政府が前提としていた新型インフルエンザが、あまりにも現実離れしていたからだという。
被害想定が大きすぎた
まずは政府が試算していた新型インフルエンザによる被害想定だ。米疾病対策センター(CDC)が示した推計モデルに従って、スペインかぜ(1918年)とアジアかぜ(1957年)による致死率を当てはめるなどしてはじき出した推計死亡者数は、17万~64万人となっていた。
このとき新型インフルエンザ特措法が検討された背景の1つに、鳥インフルエンザウイルスによる人的な被害が広がっていたこともある。鳥インフルエンザウイルスは、基本的にはヒトには感染しない。ところが、H5N1の鳥インフルエンザウイルスが中国や東南アジアで人に感染して多数の死者を出していた。2003年12月から2009年1月の間に403人が発症して、うち254人が亡くなっている。
ウイルスに感染した鶏などに濃厚接触した人に限られていたが、一部の専門家からは、この病原性の高い鳥インフルエンザウイルスがヒトの間で感染・伝播する性質を身に付けたら、莫大な被害が出ると警告されていた。
2009年2月に改訂された「新型インフルエンザ対策行動計画」の総論には、背景としてH5N1ウイルスが流行して死亡例が報告されていることが明記されている。そのうえで「このような鳥インフルエンザのウイルスが変異することにより、人から人へ感染する能力を獲得する危険性が高まっている」などと行動計画を策定した経緯が記され、17万~64万人の推計死者数が紹介されている。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら